イアトロジェニック彼女

エルゴタミン(1)の使い過ぎで頭痛は増幅する
もはやトリプタン(2)の手には負えない
鎮痛薬を飲んだ後の舌の痺れる感じ(3)が好き
イアトロジェニック(4)な彼女
医原性の女

インパクト・ファクター(5)にはよだれが出る
トップジャーナルにアクセプトされることを夢見て
当直の翌日のオペ室は白昼夢の中
労働基準法もなにもない
スリーピング・オペレーター(6)

さあICU(Intensive Coffee Unit 集中珈琲室)(7)に行こう

解剖学実習(8)は忘れてしまった
御献体の顔すら思い出せない
ただ胸が痛くなるだけ
お料理しているみたい
そういう友達の声を聞きながら
よく切れるメスを
指の上でくるくるまわしていた

カルチ(9)で苦しむ人
直前まで死に向かう人間の尊厳に満ちていたのに
瞬間に その瞬間に
物質と化すのが分かる
やすらかに? いやからっぽに
この感じは何

だけど肘ついてムンテラ(10)を聞く家族は許せない
ガムを噛んでいる夫も
研修医(11)とポリクリ(12)の区別もつかないくせに

それは私たちの仕事じゃないが口癖の看護師(13)
差益(14)ばかり気にして薬のリストラに明け暮れる薬剤部
経営という錦旗の下にレセプト(15)崇拝の事務員
現場を知らない厚生労働省の役人
医療不信を煽り飯の種にするマスコミ(16)
教授が笑えば笑い黙れば黙る腰抜けの医局員たち(17)

医は仁術だ(18)と叫んでカルテ(19)を投げつけろ!

カフェイン(20)という劇薬が取り締まりの対象にならない
そんな時代に生まれた幸運をかみしめながら
ひたすらコーヒーを飲み続ける彼女

SG顆粒(21)なしではやってられない
IPA中毒だから
電メス(22)で焼肉を食べたくなる同僚を笑えない
イアトロジェニックな彼女
医原性の女
 

【 解説 】
1. 片頭痛治療薬。商品名カフェルゴットなどはエルゴタミンとカフェインの合剤。依存すると逆に頭痛を増悪させ薬剤性頭痛を生じることがある。
2. 片頭痛の特効薬。脳内のセロトニン受容体に選択的に作用し副作用も少ない。商品名イミグラン以来次々と新薬が開発されている。
3. 血管を収縮させることで鎮痛させる薬の場合舌がしびれることもあるかもしれない。
4. Iatrogenic 医原性(医療行為が原因の)。
5. 科学系雑誌の格付け評価。ノーベル賞を取るような論文が掲載される有名なNatureやScienceなどのトップジャーナルでは当然高得点となりアクセプト(投稿論文の掲載を受理)されることがしばしば研究者の夢になる。
6. 大病院では当直が避けられない。人手はどこでも不足しているので翌日も通常業務となる。トラックの運転手が過労で事故を起こせば会社も訴えられるが、医師の過労で病院が訴えられることはない。患者の命を助けるためには過労ぐらいしょうがないとされている。しかしその被害をこうむるのは第一には患者であろう。居眠り運転ならぬ居眠り手術はあながち冗談ではないかもしれない。
7. ICUはIntensive Care Unit(集中治療室)の略。ここではcareをcoffeeにして休憩室とかけている。
8. 医学部の学生にとって解剖は難儀な科目の一つである。実習に使用される遺体は献体といって自らの意思で捧げられた貴重なものである。
9. Carcinoma 癌のこと。
10. Mundtherapie ドイツ語で「口で治療する」という意味でつまり医師が口頭で説明すること。
11. 医師免許証を持って5年目までの医師のこと。何十年もやっている医師と全く同じ権利と責任を持つ。研修医という特別な身分があるわけではなく、本人にその意思があれば医師免許証を取ってすぐに開業して院長を名乗ってもいいのである。ちなみに医師免許証は一種類しかなく各科ごとの免許はないので、好きな時に好きな科を名乗ることは自由である。
12. 医療の臨床実習をしている医学部の学生。もちろん医師ではない一般人。
13. 看護婦という言葉は廃止になり今は男女とも看護師である。婦長は看護長という。看護師は医師の部下だと思っている人がいるが大間違いである。もちろん個人病院の場合は院長に雇われているが、大病院では看護課などの縦割りの独立した別の部署の管轄であり医師が命令するわけではない。
14. 投薬すると仕入れ値と薬価(定価)の差額が病院の儲けになる。近年医療費削減のため薬価が下がり続けているので儲けが少なくなり、経営のためにむしろ薬局業務をなくして院外処方にする病院が多数となった。
15. 診療報酬明細書。病院が保険者(健康保険組合など)に医療費を請求するための書類。これに不備があると医療費が支払われないので医師や事務員は毎月膨大なレセプトをチェックするために大変な労力を使うことになる。
16. マスコミ全体が狂気の集団魔女狩りを先導する現代。大衆はマスコミがいつまでも守ってくれるのではない、マスコミは用がなくなった対象には冷たいことを知るべきである。そしてそろそろマスコミは自分たち自身も生け贄になる時代が来ていること知るべきである。
17. 医学部の教授はきわめて専門性が高く閉鎖的な社会で人事権、博士号の授与など強大な権力を一手に握っているため余程の人格者でなければ暴君となる。なったとたんに性格が豹変する者も珍しくない。アメリカなどの競争社会では教授といえども業績を上げつづけなければ失脚するが、定年まで安泰な日本では科学が進歩しない構造になっている。大学の医局では教授以下は医局員と呼ばれほとんどが腰抜けなのはどの社会でも同じである。
18. 死語。
19. 患者の診療記録。最近ではほとんどが電子カルテになったのでソフト屋さんは大もうけしている。昔の医師は怒るとカルテを投げつけたそうだがほとんど伝説。
20. コーラや鎮痛薬には50mgくらい、コーヒーや日本茶には100mgくらい入っている。1日300mg以上摂ると危険という指摘がある。
21. セデスGを大量に飲みつづけて腎不全で死亡したという報告があり、製造中止になった。含有成分のフェナセチンが原因物質とされ、フェナセチンを含まない市販のセデスは製造中止になっていない。SG顆粒はセデスGの後継品で、フェナセチンを安全とされているアセトアミノフェンに替えた。痛みによく効くイソプロピルアンチピリン(IPA)が含まれている数少ない鎮痛薬である。
22. 通電してメスのように切開したり、凝固止血などを行う医療器具。手術で電気メスやレーザーメス、超音波メスなどを使う頻度が増えている。電メスで焼灼すると文字通り焼き肉の薫りが。

投稿者

愛知県

コメント

  1. 久々にたいへん面白く興味深く、本文と解説を分けて紙に印刷して照らし合わせて読みました。海堂尊かミスターたかぼかといえばたかぼ氏の方がユニークでかつ苦みばしっている。
    イアトロジェニック、スリーピング・オペレーター、あとIntensive Coffee Unitという言葉をどっかで使いたくなりましたが、使いどころはないでしょう。

  2. 王殺しさん、大変過分なお言葉光栄です! 印刷までして読んで頂きお手間取らせました。ありがとうございます。

  3. 半分も理解できていないですが、論文のように注釈だらけで、それが何かをフレーミングして、また崩れていくような感確認襲われてステキです。

  4. 題字を見たことしかないマンガを、最終兵器的彼女、として一字だけタイトルを改題仮設定をして読んでおります。まだ曖昧な感想しかえておりませんので、そう遠くない日に書き込みをしますので、よろしくです。

  5. >timoleonさん。ステキなコメントありがとうございます。
    >竜野欠伸さん。また感想頂けるとのこと楽しみにお待ちしております。

  6. 専門用語と数字が文学的にコーディネートされているというか、
    なんていうか、もう、素敵です。

  7. なんていうか、もう、素敵なコメントありがとうございます (^^)

  8. 医療を背景にしてた詩にしては、コロナ禍の状況をあまり、悲観も楽観もせずにいると思います。敢えて、その様子を考えてみることができました。戦々恐々としたコロナ禍よりも、敢えて狭い世間を風刺したのでは、と思いました。医原性については、皆さん日本では、病院で生まれる方がかなり多いはずです。ある意味でも、その郷愁については、意味身長さがあると思いました。それを専門用語で塗り固めた詩も、かなり個性的で興味深いです。

  9. 竜野欠伸さん、長文にも関わらずしっかり読んで頂いたようでありがとうございます! コロナ禍について詩にするにはまだまだ現状を消化できていないのでこんな詩になりました。

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