静けさ

この一瞬に世界のどこかで
コーヒーカップをテーブルにコトン
と置く音がする。

この愛は
並木道を通り
静けさへ声をひそめて言い
魂を育てる。
この愛に
耳を澄ます静けさは澄む

ふと立ち止まり
ほほえみます
透明な血をしている星の際で。

ひっそりとした家に帰り 手紙をしたためる
愛用万年筆のこの愛は こっくりとうなずく。
木製の机は人知れずつやつやとする

夕方のやわらかな影を
夕方のやわらかな光は生む

「何もかも望まなくていい世界になればいい」と
夜、思い出に満ちて望まなくていい月はしんと深く静か
そして、私の静けさは 欠けながら今を生きる

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コメント

  1. 心に波風のたたない静けさは、静かな詩情に静かにペンをとらせる。
    そしてこの世界の誰かに思いを静かに馳せる。

    なかなか望むことばかりの僕は騒がしく生きてしまうのだけど、同じように欠けることへの静かな諦念はあるし同じように月夜はしんと深く静かです。

  2. 王殺しさんへ はい。そうですねぇ。私は静けさが好きです。物理的な静けさも好きですが、こころの静けさが好き。ふふ、とはいえ、実際のところは、雑音が多めの私のこころ。なので、物理的にも精神的にも静けさを求めるのです。
    (そのせいもあって、こころを整理したりする意味で、雑記専用の「雑記ノート」を昔からずっと書いています)

    王殺しさんが、この詩をすてきに味わってくれたようで うれしいです。ありがとうございます。
    うん、(実際には)手紙を書くことは少なくなりましたが、手紙を書く時は静かにたのしいひとときです。
    王殺しさんの欠けることへの静かな諦念がすてき。
    うん、(月のことにも詳しくありませんが)月は大好きです。月夜はしんとしますね。

  3. コーヒーカップを置く音。愛用の万年筆で手紙をしたためる。夕方の影。ささやかな静けさを見つめる作者の心持ちを想ってみました。孤独の豊かさなのでしょう。そうなんですよ、何もかも望まなくていい…。

  4. 長谷川さんへ すてきに作者の心持ちを想ってくださいまして、ありがとうございます。
    はい。静けさのなかでコーヒーカップをコトンと置いた時の音が好きなんですよね私。それに、地球上にはたくさんの人が住んでいるので、今この瞬間にもたぶんコーヒーなどをコーヒーカップで飲んでいる人がいると思うんです。

    この詩を書いていた頃にはまだ万年筆を愛用していて万年筆で詩や日記や手紙も実際に書いていました。今は主にシャーペンで ものを書いていますが、静けさのなかで ものを書くことが大好きです。ちなみに、昔、両手首がけんしょう炎になったことがあって、それから筆圧を掛けなくても字が書ける万年筆に書くことを助けてもらっていたのでした。今は、時々痛む時もありますが、手首のけんしょう炎はほとんど治っているということもあって、万年筆愛用は止めたのでした。

    うん、孤独という言葉をお聞きしたので、この際だから私の思う孤独について言いますね。
    孤独というのは、ある意味、存在と存在のつながりが切れているから孤独という状態になるのですよね。この孤独というのは、こうなんだと思います。
    (ほぼ1年前から次の詩集用に書いている詩があります。たとえはちがいますが、それと同じようなことを言えば)
    一人の料理人が同じ一つの鍋で作ったスープがあるとします。その同じスープをその同じお店で家族三人が頂いたとします。頂いたもの(スープ)は同じなのに、その同じスープについて、家族三人がそれぞれに異なる感想を言いました(もちろん、多様性はすてきなことですが)。頂いたスープは同じはずなのに、その同じスープから感じたりした味(物事の内容)が異なっている!ここに、存在のつながりの切れ目があるのですよね。存在と存在はどうしたっても どの存在同士間でもつながりが切れている。
    またたとえば、この同じスープの味を家族Aさんが一言「おいしい」と言っても、それを家族Bさんが聞いた「おいしい」という言葉の感じなどは、AさんとBさんの間で異なる「おいしい」となってしまいますね。この「おいしい」という言葉から感じたりする内容は、それを言う側にも聞く側にも千差万別ですね。つまり、Aさんの言った「おいしい」とBさんの聞いた「おいしい」という同じ言葉であっても、発する側と受け取る側とではまったく同じ「おいしい」ということは言えないということですね。この「おいしさ」は、存在Aと存在Bの間で絶対的に異なってしまいます。ここに家族Cが加わっても同じことが言えますね。でも、お互いにちがうからこそ、お互いがお互いに存在する意味があって、支え合ったりすることもできる素晴らしさがあると思います。
    あぁ、ついつい孤独についてあつくなって話が長くなりました。(うまく説明できたか自信はありませんが)
    ん、ある意味ある次元では、それぞれの存在の全ては、それぞれにつながりが切れている孤独な存在なのでしょう。だからこそ、存在と存在はお互いに思い合うことが大切なんだろうと思います。
    とはいえ、この詩から 孤独の豊かさを想ってくれて、ありがたいです。^^

    はい。長谷川さんのおっしゃる通りだと思います。
    望まなくていい世界というのは、その時には物事が自分たちにとって満ち足りている状態を言いますからね。

    ああ、(誤字や脱字があったらすみません)私の話を聞いて(読んで)くれて、ありがとうございます。拝礼

  5. ああ、静けさを介して繋がりました。

  6. あまねさんへ ああ、そうですねえ!私は自分で思い込んでいた部分もありますが、そういう角度などから見れば、そうですねえ。孤独と孤独であっても、(ある次元では)ある一つの物事を介してつながり合うことが できるのですね。あぁ、とてもすてきなことを教えてくれて、たいへんありがとうございます♪^^

  7. 孤独者Aと孤独者Bの間に同じスープ(同じ物事)を介した場合。そのスープをAとBが頂いて、そのスープから感じた味など(物事の内容)は、AとBとではまったく同じではないとしても、同じスープを頂いたという事実は残るということでしょうね。(さて、どうでしょう)
    あまねさん、ありがとうさま!

  8. コメントしたいと思ってから2日ほど過ぎてしまいました。その内に皆さんのコメントやこしごえさんの返信を拝読して一篇の詩を巡ってとても豊かな気持ちになれました。
    さて、まず第一連でこの詩の世界観にグッと引き込まれます。静けさに想いを馳せイメージが連なり、最終連で自分の元に戻ってくる。その間にこしごえさんらしい陰翳あってひとつ、欠けながら合わさってひとつという世界観がしっかりと伝わりますし、共感します。闇や翳りを受け入れてこそ美を見出せるんでしょうね。

  9. こしごえ氏の詩に対する姿勢が、うつくしいなと思いました。それになだらかに入ってくる。

  10. あぶくもさんへ ああ、この詩を読み込んでくれたようで、とても丁寧なご感想をありがとうございます。ここにコメントをくれた皆様とのやりとりを見て、あぶくもさんがとても豊かな気持ちになられたことを貴重に思います。これもこういう場を提供してくれているぽえ会のスタッフの皆様とここに集う詩人の皆様のおかげさま。ありがたいことです。

    さて、うむ。この詩をすてきに読んでくれた上に共感までしてくれたことをありがたくうれしく思います。
    そうですねえ。そう言われてみれば、そうなのでしょうね。あぶくもさんのおっしゃる通り、闇や翳りを受けいれることから始まることもあるでしょうね。それに、気を付けなければなりませんが、自分のなかの闇を他の世界にある闇は何にせよ肯定すると思います。うん、そこに美を見出せればすてきですね。私もそこに美を見出せるように願います。うん。^^

  11. timoleonさんへ ああ、ありがとうございます!
    timoleonさんが、私の詩に対する姿勢をうつくしいと言ってくれまして、心強くありがたく思います。
    その上、なだらかに入ってくるとのこと。そのように読んで頂いて、とてもうれしいです。拝礼 ^^

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