蜻蛉の

ほどけていく豊かさにも
纏わる毒にも

重さというものがない。

何ものかを凝視するための
喪われた歳月をむさぼる。

どこまでも平衡しながら
私は私であったことがあるか。

とめどなく続いていくものなど
初めからあったか。

言葉は響きに埋もれたまま
とぐろを巻くだけか。

深呼吸をふたつ繰り返す
毒の不確かな意味の末路を覗く。

蜉蝣のわずかな
存在のように

今は現実と狡猾の狭間を浮遊する。

細い帯の日とともに
人々の渦中へ呑み込まれる。

投稿者

東京都

コメント

  1. 以下の三つの問いが強く自省を促す様がこの詩の読まれるべき力だと感じます。
    「どこまでも平衡しながら
    私は私であったことがあるか。

    とめどなく続いていくものなど
    初めからあったか。

    言葉は響きに埋もれたまま
    とぐろを巻くだけか。」

  2. あぶくもさん
    自らの存在を見つめ直す、内省する。そんな感じで書いてみました。ご指摘いただいた三つの問いは、まさに「存在」に対しての問いかけなのかな、とあらためて思っています。ありがとうございます。

  3. 今朝から蜻蛉のを読んで半日過ぎるのに未だ読んでます(読むの遅いの)。

    時計を見てこの蜉蝣の生命が尽きるまえに読み終えることが出来るのか
    不安になり、斜め読みで最後まで読んで1回目の読後コメントします。

    本来、自分にかしている私の場合は少なくても6回読まないとコメント
    しないことにしているのですが、表面の文字裏なのか遥か下の世界から
    なのか分かりませんけど、何かが隠れている、うずくまっている、
    あるいは、シャープペンシルの素描がアニメーションのように動いて、
    何かを教えてくれているのに、すぐに隠れて、そのことを分かる前に
    他人に知らせたら終わってしまう儚さ。

    そんな感じです。

  4. 足立らどみさん
    そういうふうに読んでいただけるのは、とても嬉しいです。…実をいうと、作者も、「表面の文字裏なのか遥か下の世界からなのか分かりませんけど、何かが隠れている」、その隠れている部分をきちんと把握していないのです。(汗)
    その部分を読者に探ってもらえるのは、作者にとって、ひとつの妙です。

  5. 目で見て肌で感じるようでした。
    僕は僕に自問しなければならぬ、そんな詩でした。

    改めて蜻蛉の、の「の」の先の言葉も気になります。考えます。

    このような体験をありがとうございます。

  6. 勝手な解釈をさせてもらえれば、SNS社会でアバター化して、現実から揺れながら浮遊した存在、不確かな、毒をまとい、狡猾さ、が自己と幽体離脱したような、自由でもあり、また一瞬で消滅、更新してしまうような、半透明なうつくしさもある存在。というようなイメージで読みましたが、言語空間と自己の間かもしれないです。

  7. 王殺しさん
    蜻蛉のわずかな存在、というふうに書きましたが、蜻蛉の、の後は、読んでくださった方の想像の領域でもあるのかな、と思います。そのように読んでいただけること、嬉しいです。

  8. timoleonさん
    コメントを拝読し、目から鱗が落ちる…、そんな心持ちになりました。SNSと絡めて解釈ができるのだな、と。たしかに、そうですね。ネット空間に置き換えてみると、腑に落ちるところがあります。ネットの、幽体離脱って、何だかリアルです。

  9. 詩人の日々の静かな問を、聴くような。優れた言葉の延長を、問の続きを、聴きたいような。

  10. 服部さん
    静かな、いらだちというか、不安が、いつも気持ちの中にあります。それを蜻蛉になぞらえてみました。人は、不安から逃れられないのかな、とも思います。
    ご返信が遅くなりました。申し訳ございません。

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