思う
思うからこころに力がわいてくる。そう
思う。
大切な存在や大好きな存在を思う
さまざまな物事を思う
たとえば、
あなたを思う
お世話になっているシャーペンを思う
ひぐらしの歌声を思う
光る風のゆくえを思う
思う
けれども
思うことで時にはつらくなる
つらくなったら思わない
けれども
自分の思い通りにいくとは限らない
そういう時には思うことも思わないことも
自然に任せる。そう
思うだけでは進まない物事もあるけれど、
思うだけなら自由
思う力は思いを強め
つながっている宇宙と共に思う私は
思う
たとえば、
七月の終わり頃の日が落ちた
夕方の西の
蒼く透けている空を
思う
さよなら またね
コメント
詩を書いている時間も、思いであり、詩を読んでいる時間も、思いなのかなと、「思って」います。このサイトで、さまざまな詩作品に触れている時間は、私にとって思いですね。それがコメントになる時もあるし、ならない時もある。むしろならない時の思いのほうが、深いのかな、などと「思って」みたり…。
長谷川さんへ ああ、まず、長谷川さんが、この詩を読んでくれた上に、この詩から さまざまに思ってくれて貴重に思います。そして、その思いをこうして私に伝えてくれた。うん、ありがとうございます。
はい、長谷川さんの言う通りですね。詩を書いたり、詩を読んだりするのも思いですね。思いとは、こころを働かせたりすることだと広辞苑でも言っています。
長谷川さんのように、思いを働かせるということは、大切なことですね。うん、そうですね。長谷川さんの言う通りでぽえ会で さまざまな詩作品に触れることが出来て、その作者その作者の思いなどにも触れたり出来ることが、とてもありがたいことだと私も思います。そして、このぽえ会の皆様の詩作品と、また、心温まるコメントに このこころがわくわく高揚したり とってもうれしくなったり ほんとぽえ会の皆様の存在が貴重に思います。
うん はい、思いがコメントになったりする時もあるし、コメントにならない時もある、その通りですね。うんうん、そうかもしれません、思いを形に出来ない時のほうが、もしかしたら、思いが複雑で深いなどの場合があることもあるでしょうね。
ああ、長谷川さんの思いがうれしく ありがたい^^
「思う」というのはそれによってある種の「所有」をすることでしょうか?
でも、思ってもその対象をなんら束縛するわけではない。
だから思うのは極めて自由な愛のカタチなんだろう。
そんなことを思ってみましたw。
babel-kさんへ まず、この詩を読んでくれた上に、この詩を読んだことで自由に思ってくれて、貴重に思います。長谷川さんにも言いましたが、babel-kさんがそれらを私に伝えてくれたことも ありがたいです。ありがとうございます。
うむ、そうですねぇ。「思う」ということがある種の「所有」をすることでしょうか、とのことですが、もしかしたら babel-kさんの言う通りで、その通りなのかもしれませんね。うーん、そういうことは興味深いことですが、「思う」ということがある種の「所有」を意味するということは、思いもしませんでした。
ただ、その人によっては、「思う」ことを「自由」には思えない方もいるでしょうね。この詩では「思うだけなら自由」とは言っていますが、この詩の話者ではなく作者である私個人のことを言えば、「思う」ことには、部分的に不自由な部分もある場合があるとは思われます。たとえば何かの制限のようなものに縛られたりしてですね。でも、願いとして「思うだけなら自由」と思いたいのですね。
でも、babel-kさんの言ってくれている通りで、一方では思うことはその対象を束縛するわけではない、とも言えますね。基本的には、思うだけなら自由でありたいし、自由なんだろうとも思います。
そして、思うのは極めて自由な愛のカタチなんだろう、というbabel-kさんの思いに感謝します。
babel-kさんがこの詩から思ってくださいまして、重ねてお礼申し上げます。ありがとうさまです。
こしごえさんらしい詩だなあと思って読みました。
「思い」は「祈り」に似ていて
「祈り」は「愛」に似ている
それも崇高な「愛」に
そんなことが浮かびました。
あぶくもさんへ ふふ、ああ、あぶくもさんが この詩を私らしい詩だと思ってくれて うれしいです。自分では「私らしい」ということがあまり分からないので、私らしい詩というのがあるということをあぶくもさんが思い言ってくれて ありがたく思います。^^
あぶくもさんが、この詩から「思い」は「祈り」に「祈り」は「愛」に似ている それも崇高な「愛」にということをこころに浮かべてくださいまして、貴重であり うれしく思います。ありがとうございます。
広辞苑によれば、「思う」という言葉には、「愛する」や「大切にする」などの意味があるとのこと。あぶくもさんが これらの意味と思いをこの詩から読み取ってくれていることに感謝します。そのあぶくもさんがそれらを私に伝えてくれたことも ありがたいです。重ねてお礼申し上げます。ありがとうさま。
はじめまして。詩を書いていると「思う」になりますね。
思い通りにならないこと、自然に任せてしまえば、いつのまにかなくなっていくんですよね。
思いをふりほどいて、またねという最後が、とても素敵な余韻でした。
ザイチさんへ はじめまして^^まず、この詩を読んでくれて、いろいろに思ってくれたことと、それを私に伝えてくれたことも貴重に思います。ありがとうございます。
はい、詩を書いている時に「思う」というのは、その通りですね。「思う」。
いろいろなことをしたりしている時も「思う」ですね。
ああ、そうですねぇ。ザイチさんの言う通りで、思い通りにならないことは、自然に任せておけば、いつのまにかなくなっていきますね。ザイチさんに言われてみて あらためてそう思います。自然の大きな流れに心身を任せるしかない時もありますもんね。
ああ、「またね」という最後を、とても素敵な余韻と感じてくれたことをうれしくありがたく思います。