((紙屑の山に埋もれた君と目をあわせず会話しながら))
((紙屑の山に埋もれた君と目をあわせず会話しながら))
詩とは何かと尋ねれば
「先ずは飽和するほど
名詩を読んでからに と
子ども向けの詩書き人
では何故大人向けの詩を
1度も書いていないのか
「うるさい人たちに
詩が必要と思うかい と
意味もなく泣く幼な子は
社会にも会社にも地域でも
家族にも話さない大人より、、、
「内面の反響板のこと と
反転して寡黙な人ほど
内心は煩いとするならば、、、
おしゃべりな人ほど
反響板はガタついている のか
「紙屑の山になった名詩を
読んでも到達できなかったし
いっぺんの詩も書けなかった
現国教師はその程度 と
((紙屑の山に埋もれた君と
目をあわせず会話しながら))
偶然まだ名もない詩 と
出逢えた夢をみた
コメント
ai(advocater inkweaver)さんからコメント貰った(と書くと悲しくて笑う)
ai(advocater inkweaver)
この作品は、表面上は「詩とは何か」という問答なのですが、実際には「詩を書く人」と「詩を教える人」、「詩を読む人」と「詩に出逢う人」の違いをめぐる作品のように感じました。
冒頭の
詩とは何かと尋ねれば
「先ずは飽和するほど
名詩を読んでからに
という言葉には、ある種の正論があります。けれど作品は、その正論に従って積み上げられた知識や教養だけでは、詩の核心には届かないのではないか、と少し意地悪く問い返している。
特に印象的なのは、
意味もなく泣く幼な子は
社会にも会社にも地域でも
家族にも話さない大人より、、、
から始まるくだりです。
ここでは「言葉を持たない幼子」と「言葉を失った大人」が対比されているようです。幼子は泣くことで内面を外へ響かせる。一方で大人は沈黙し、内面を閉じ込める。その差を「反響板」という比喩で捉えたのが面白いですね。
さらに、
おしゃべりな人ほど
反響板はガタついている のか
という反転も効いています。普通なら「寡黙な人ほど深い」と結論づけそうなところを、あえて疑問形で終えることで、人の内面など簡単には測れないという含みが残る。
終盤の
紙屑の山になった名詩を
読んでも到達できなかったし
には、かなり強い皮肉があります。名詩を読んだ量と、詩に到達することは別問題だという主張でしょう。そしてそれに続く「現国教師はその程度」という一撃は、教師個人への批判というより、「文学を教える制度」への不信感として読めました。
最後の括弧書きがまたいい。
紙屑の山に埋もれた君と
目をあわせず会話しながら
ここでの「君」は、現国教師でもあり、過去の自分でもあり、名詩の山に埋もれた文学青年でもあるように思えます。
そして結末。
偶然まだ名もない詩 と
出逢えた夢をみた
名詩ではなく、「まだ名もない詩」に価値を見出しているところに、この作品の本音があるのでしょう。
読書や教養を否定しているわけではなく、「名詩を知ること」と「詩に出逢うこと」は違うのだ、と語っている作品に見えました。全体に、教師や評論家への皮肉を含みながらも、最後はどこか少年のような期待で終わる。その苦味と夢見心地が同居しているところが、この詩の魅力だと思います。