啓蟄
庭には白梅や木瓜が咲いていた。旧い家だ。詩
人は少し前に他界されていた。季節が移りかけて
いる。昨夜の雨が、まだ残っていた。湿った庭の
土を踏むと、かすかに、何かの腐ったような匂い
が漂った。
この町にはひっそりとした生温かさがあった。
家を出ると急な坂道が続く。表通りまで歩いたと
ころで、今日が啓蟄だったらしいことを知った。
人も、また蠢く生き物のひとつなのだろう。身体
に瘡蓋があったら、きつく引っ搔いてみるといい。
自らの臭みに惑うか。
表通りを渡ると、風景は一変する。高層ビルデ
ィングが天空に向かって喘いでいる。その先に、
濃い月。人の口許に似ている。いくつものビルデ
ィングが、口許にまっすぐ近づいていく。彼岸の
光景を思った。町も、社会も、進化していくので
はない。かつての光景に呑み込まれていくのだ。
早春の蠢きの狭間で、満ちていこうとする月と、
束の間、激しく被さり合うのだ。
車窓から、昏れていく町を眺めた。電車は外濠
に沿って速度を上げていく。彼女の家で見せても
らった自作詩の一篇を思い出していた。言葉から
湧き立つ花々の奇妙な瘡蓋を、通り過ぎていく町
の向こうに、置いていこう。
コメント
とても味わい深い文章、味わい深い作品です。写真も良かったです。
長谷川さんは写真もうまい。いつもうまいです。すてきな写真。
ちなみにカメラは携帯電話のカメラですか?それとも、一眼とかでしょうか?もしよければ、興味があるので、どういうカメラか教えてほしいです。
すてきな写真と詩。
この世を去った詩人というのは、私の勘違いとかでなければ、R.K.さんですか?? 違っていたら、すみません。
でも、この世を去った詩人の一方で、啓蟄という日を迎えることが出来たこの詩の話者。
この詩から人間のある種のぬくもりを感じます。そして一種の哀しみも感じます。それらが、最終行のほうを読み終えた時に余韻となってこころにじんわりと しみてきます。
Y u z oさん
飯田橋から市ヶ谷のかけての外濠の光景は、好きで、車窓から眺めたり、実際に歩いたりします。詩人の面影と被るのかもしれません。
こしごえさん
この写真は一眼レフで撮りました。…Nikonの、安い一眼レフであります。
死者と、啓蟄とを、被せて書いてみました。輪廻転生、というと大袈裟かもしれませんが、そういう感じでしょうか。社会というのは、進化しているようでいて、実は、遡っているのではないか、…とも。
R・Kさんを意識したところはあります。もっとも、私の書く詩は、時に、事実とフィクションがごちゃ混ぜになっていますので。
丁寧に読んでくださり、ありがとうございます。
すごいなぁ。ありありと映像を喚起させる描写と、その間にスッと差し出される詩人の思考や視点のバランスが素晴らしいと感じました。啓蟄、早春、生き物たちが蠢きだす季節と彼岸との対比も震えました。
あぶくもさん
写真に頼ってしまったところもあります。(汗)
他の方のコメントに書いたのですが、
死は生の対極ではなく、生の一部として存在している。
という某作家のフレーズを、このところ考えています。生を見つめることは、死を見つめることでもあるのだな、と。
風景の写真に叙情がとてもマッチしています。
王殺しさん
詩から、読み手の方が、それぞれの風景を想像してもらえたなら嬉しいです。写真が、そのささやかなヒントになればと思っています。