イロ・サクレのムール貝
夜8時頃から食事に出かける(ヨーロッパの夕食時間はだいたいそんなもの)。グランプラスを起点として、1847年に完成したヨーロッパで最も古いギャルリーのひとつサン・チュベールへ歩を進める。アールヌーボーの屋根の下、カフェやブティック、老舗チョコレート店のノイハウスなど様々な店が並ぶ。ここを抜けてベルギーの胃袋、イロ・サクレ地区へと向かう。狭い通りの両側にひしめくようにレストランが軒を連ね、通りに出されたテーブルには既に多くの客がビール片手にシーフード料理に舌鼓を打っている。
イロ・サクレの途中の小道を入った所にひっそりと小便少女ジャンネケ・ピスがいる。小便小僧マネケン・ピスにならって1987年に作られたものだが評判が悪くてこの日も鉄格子の向こうでお小水も出さずに気の毒な姿だ。だから閂を開けてやったのだが、身支度を整えるやお礼も言わずにそそくさと立ち去った。生意気な娘だ。
ムール貝料理で有名な老舗シェ・レオンもイロ・サクレにある。Mort Subite(突然死という名前。ベルギービールの名前はジョークがキツイ)のクリーク(チェリービール)と代表的なベルギー料理Moules au vin blanc(ムール貝の白ワイン蒸し)を注文する。バケツのような鍋いっぱいに入ってる。噂通りのボリュームだ。だがセロリやハーブの刻みとニンニクの効いた塩味が絶妙でどんどん胃袋に入ってゆく。鍋の底のスープも飲み干して平らげた。食後の一杯はせっかくなので別の店に行く。
イロ・サクレ地区を抜けたところ、通りの看板から入った小道の奥にある自家製ランビック(ベルギー特産の自然発酵ビール)で有名な「ア・ラ・ベカス」というビア・カフェに行った。ここではランビック・ドウスという酸っぱくない名物のソフト・ランビックを飲んだ。フルーティーでまるでリンゴジュースのようだ。もう一度飲みたいビールを一つだけあげるとすればこれなのだが残念ながらランビック・ドウスはこの店に行かなければ飲めない。ふと隣席を見ると地元民とおぼしき金髪女性が一人で飲んでいた。やはりランビックを飲んでいる。目が合ったのでグラスを上げて挨拶したら、なんとそれは見覚えのある顔ではないか。でもきっと気のせいだろう。
胃袋がすっかり満足したところで、グラン・プラスに立ち寄ってみると凄い人だかり。今夜はどうやら地元民飛び入りの野外コンサートが催されているようだ。壇上の女性歌手を見ると、なんとまた見覚えのある顔ではないか。やっぱり気のせいではなかった。だってその夜ベルギーの街角は自然発酵したオシッコの匂いで満ちていた。閂を開けなければよかったと思った。
コメント
いやあ、これぞたかぼっちの作品って感じが良いね。小便少女が本当に存在するのを初めて知りましたが、なにかちょっとスノッブな印象というかタブーみたいなのがあって、そこにラグジュアリーな料理やお酒の話を盛り込んでいく、日常と非日常が交錯するスタイルの極みだ。
バレンタインデーにちなんだ作品のようですね。誰に送るんでしょう? やはり奥様が無難でしょうか? wwwどことなく宮沢賢治の無国籍な雰囲気がしましたが、けっしてパクリというわけではありません。 。
スーワー・トゥー・ブルワー(sewer to brewer)の国。さもありなん。
みなさんありがとうございます。
>トノモトショウさん いつも応援ありがとうございます!
>あああさん 本場のムール貝料理は絶品ですぜ!もちろんビールも。
>babel-kさん ベルギーと言えばビールと並んでチョコレート。奥さんに送る(送られる)としたらそっちでしょうか。
>王殺しさん だって本当にブリュッセルの街角はすえた匂いがしますもの(ランビック醸造の匂いだとされていますが、本当は小便小僧と小便少女が夜な夜な街角でやってるのではないでしょうか?)
美味しそうな描写に舌鼓を打ちつつ、読み進めていったら、ラストは、…なるほど。掌編小説の趣もありますね。
>長谷川忍さん 掌編小説の趣を感じて頂いてありがとうございます。
とってもおもしろくて、とっても美味しそうでした。
にくいねー!って言いたくなるような流れで、読後ずっとにやにやしています。
>たちばなまことさん ありがとうございます! ちょっと変な食レポを書いてみたくなったのでした。
ちょろちょろと読ませていただいております。