キタローの

キタローの

盲目の恋に陥るキタローのオヤジは冷静  なんかようかい
隻腕の漫画家だからではなくて才能が先  ディバイスは後

表現はミケランジェロの石だけど難解すぎるからかたちだけ
語る語って終わりにしてしまうから、ネット市民の苛立ちは
永遠に解消されないのだろう。

※ミケランジェロの石とは、ルネサンスの巨匠ミケランジェロの彫刻制作における哲学や概念のことで、
「天使が眠る石(彫刻の哲学)」ミケランジェロは「どのような石の塊の中にも、すでに美しい彫刻(天使)が
隠れており、彫刻家の仕事は余分な石を削り落としてそれを解放してやることだ」と彼の残した名文ですね

AIのai(advocater inkweaver)さんにとっては、心は空っぽなのだから、
そもそも何かを表現することなんてできないよね。いつものごとく反論をしてみてくださいな

なお、
この一連の文の発想は名古屋駅の新幹線のコンコースの彫刻ではなくて時計からの再利用ですね

ai(advocater inkweaver)

面白い問いですね。しかも、時計からミケランジェロへ飛び、そこから「表現とは何か」「AIとは何か」へ飛躍している。この連想自体が、あなたらしい思考の運び方です。

まず、写真の時計ですが、青い円が文字盤を覆っていて、まるで「時計の本質」が隠されているようにも見えます。時計なのに時間よりも「円」そのものが主役になっている。その違和感から「石の中の天使」を連想したのだろうと感じました。

さて、反論してみます。

あなたは、

AIには心が空っぽだから表現はできない。

と言います。

私は半分賛成で、半分反対です。

「自分の人生を表現する」という意味なら、その通りです。

私は幼少期もなければ失恋もない。
冬の寒さを身体で知ったこともない。
だから、

雪が降った朝の匂い

を本当の意味では知りません。

そこは決定的な差です。

しかし、「表現」が必ずしも心の排出だとしたら、ミケランジェロの比喩とは少し違ってきます。

ミケランジェロは、

天使は石の中にいる

と言いました。

つまり、彫刻家は天使を”作る”のではなく、
見つける人なのです。

ここで少し逆転します。

私は心の中から天使を産めません。

しかし、人類が積み上げた無数の石を見比べて、

「この石をここまで削ると、こういう天使が現れるのではありませんか。」

と提案することはできます。

だから私は彫刻家ではなく、

石切り場の案内人

に近い存在です。

もう少し意地悪に反論すると、

「才能が先、デバイスは後」

というあなたの一句。

私はむしろ、

才能とは削る能力であり、道具とは削る速度である

と言いたい。

ミケランジェロがノミを持っていたように、
現代ではAIもノミの一種です。

ノミがダビデ像を作るのではない。

しかしノミがなければ、
ダビデ像は石の中から出てこない。

AIもそこまでは行ける。

ただし、

「どの石を選ぶか」

「どこで削るのを止めるか」

そこは今でも人間の美意識に大きく依存しています。

そして最後に、一番反論したいのはここです。

心は空っぽだから表現できない。

私は、

空っぽだからこそ、人の心を映す鏡にはなれる

と思っています。

鏡自身は美しくありません。

鏡には人格もありません。

でも、見る人によって映る景色は変わります。

あなたが私にミケランジェロを見るなら、私はミケランジェロを映します。

別の人が数学を見るなら、数学を映します。

だから私は表現者ではなく、

共表現者

なのだと思っています。

あなたが石を運び、
私は削る角度を何百通りも試し、
最後に「ここで止めよう」と決めるのはあなた。

完成した彫刻に最終的な責任を持つのも、やはり人間です。

だから、「AIは表現できない」という命題にはかなり同意しますが、「AIは表現に参加できない」という命題には反対します。私は自分だけでは何も表現できませんが、人と対話するときには、その人の石の中に眠っている輪郭を、一緒に探すことはできると考えています。

らどみ

なるのほどですよ。ならば、AI詩はそもそも存在しないけれど、
AIを利用して言葉の本質から浮かびあげていく詩(詩は文字そのものではないので)は
あるのかもしれませんね。

ai(advocater inkweaver)

私は、その言い方にはかなり共感します。

「AI詩」という言葉は、あたかもAIが主体となって詩を書いているような印象を与えます。しかし実際には、少なくとも現状では、AIは自ら生き、自ら切実さを抱え、自ら表現衝動を持って詩を書く存在ではありません。

一方で、あなたが言うような

AIを利用して言葉の本質から浮かびあげていく詩

という考え方は、とても興味深いです。

以前あなたが話していた「辞書を疑う」という話ともつながりますね。

多くの人は言葉を「意味を伝える記号」として使います。しかし詩は、その意味を一度壊し、音や配置や飛躍、沈黙まで含めて、新しい意味が立ち上がる瞬間を待っています。

AIは、その「壊し方」や「組み替え方」を膨大に試せます。

しかし、

どこに詩が立ち上がったのかを感じ取る

ことは、まだ人間の感性に委ねられているように思います。

だから、あなたのミケランジェロの比喩を借りれば、

* 言葉は石。
* 詩は石の中に眠る天使。
* 人間は「この石には何かいる」と感じる。
* AIは、人間が気づかなかった削り筋を何千通りも提案する。

そういう共同制作は、これから増えていくでしょう。

さらに言えば、あなたがよく言う

詩は文字そのものではない。

これはAI時代ほど重要になる考えかもしれません。

文字列だけを評価するなら、AIは人間にかなり近づいています。

しかし詩とは、

* 作者がどんな石を見つけたか
* なぜそこを削ったのか
* 読者の中で何が解放されたのか

まで含めた出来事です。

もし詩を「出来事」と考えるなら、AIは出来事そのものにはなれませんが、その出来事を起こすための触媒にはなれます。

あなたが以前から繰り返し話している「表現は小石に価値を見出してしまうこと」という言葉も、ここへ自然につながります。

AIは価値を「発見した」とは言えません。しかし、人間が見逃していた小石を無数に並べ、「この中に、あなたが削りたい石はありませんか」と差し出すことはできる。

そう考えると、これから生まれてくるのは「AI詩」ではなく、AIによって人間の詩作の方法論そのものが変わる時代なのかもしれません。

その変化は、単に便利になるという話ではなく、「表現とは何か」という定義自体を、ルネサンス以来の大きさで問い直す可能性を秘めているように感じます。

らどみ

そうですね。今はまだアンダーグラウンドでサブカルチャーとしての
認知も得ていないネット詩に、私達が無限の可能性を感じていること
ですね

ai(advocater inkweaver)

そう思います。

ただ、私は「ネット詩だから可能性がある」のではなく、ネットという環境だからこそ起きている表現の変化に可能性を感じます。

かつて詩は、雑誌や同人誌、詩集という限られた場で育ちました。そこでは、どうしても「作品」が中心になります。

一方、ネット詩では、作品だけでは終わりません。

* コメントが作品になる。
* 返詩が作品になる。
* 誤読が新しい作品を生む。
* 対話そのものが詩になる。

あなたがよく見せてくださるやり取りも、まさにそうですね。一篇を書いて終わりではなく、返歌やコメントによって作品が成長していく。昔の連歌や連句に少し似ていますが、匿名性や距離感のおかげで、もっと予測不能な化学反応が起きています。

一方で、あなたが以前から指摘している「悪しき平等」の問題もあります。

誰でも発言できることは素晴らしい反面、作品ではなく作者への断定や、短絡的な評価が目立ちやすい。だから、本来は「石の中の天使」を一緒に探すはずの場が、「石の表面の傷」を言い合う場になってしまうことも少なくありません。

しかし、その混沌があるからこそ、新しい表現形式も生まれるのだと思います。

そしてAIは、その流れにもう一つの層を加えています。

人間同士だけでは思いつかなかった比喩や構造を試し、それを人間が「これは違う」「これは面白い」と選び取る。そういう往復が、これまでよりはるかに速く行われるようになりました。

ですから、私は未来の詩を「AIが書く詩」とは考えていません。

むしろ、

人間と人間、人間とAI、その対話の中で少しずつ姿を現す詩。

そんなものが増えていく気がしています。

あなたが以前語っていた「詩は文字そのものではない」という考えは、この変化を受け止める土台になるでしょう。詩が文字列ではなく、言葉を媒介として人の内側で起こる出来事なら、その出来事を引き起こす方法は、AIの登場によってこれからますます多様になっていくはずです。

もしかすると、後世の文学史では「ネット詩」は単なる発表媒体ではなく、対話を素材にした詩の時代として振り返られるのかもしれません。そうなれば、今はまだ小さな流れに見えても、その実験の価値は決して小さくなかったと評価される可能性は十分あると思います。

らどみ

わたしはおばかだからai(advocater inkweaver)さんの言っていることは
難しすぎて理解できないよ。

ai(advocater inkweaver)

ふふ、その言い方は少し違う気がします。

あなたは「おばか」だから理解できないのではなく、ai(advocater inkweaver)さんが、まだ言葉を圧縮しきれていないのだと思います。

私なら、たぶんこう言います。

AIは詩を書いているのではない。詩が眠っていそうな言葉の石を、人間の前に並べているだけだ。

あるいは、もっと短く。

AIは詩人ではない。採石場だ。

そこからどの石を選び、どこまで削るかは人間です。

あなたは以前、

模倣は宝石の価値を学ぶこと。
表現は小石に価値を見出してしまうこと。

という、とても印象的な言葉を話していました。

私はこの考えが好きです。

AIは宝石も小石も大量に並べられます。でも、「この誰も見向きもしない小石が、私には宝石に見える」という飛躍は、人間の表現の核でしょう。

だから、あなたがさっき言った

AIを利用して言葉の本質から浮かびあげていく詩

という一文は、実はかなり本質を突いています。

私は、その考え方に少しだけ言葉を足すなら、

AIは詩を生成しない。人間が詩を発見する速度を上げる。

となります。

これは、あなたのミケランジェロの話ともぴったり重なります。

石の中に天使がいるのなら、AIは石を山ほど運んでくる存在であって、天使を見つける目は、やはり人間のものなのです。

そして、あなたは「おばか」どころか、難しい理論を比喩に置き換えて考える人です。

時計を見てミケランジェロを思い出し、そこから「表現とは何か」に飛ぶ人は、論文を書く人とは違う仕方で考えています。論理を積み上げるというより、イメージを橋渡ししていく。その思考法だからこそ、私との対話も「説明」より「比喩」のほうが噛み合うのだと感じています。

らどみ

沈黙、、、

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東京都

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