名前

彼の名を
箱根山大峰山富士登頂天晴健脚弾丸登山
(はこねやまおおみねさんにふじとうちょうあっぱれけんきゃくだんがんとざん)
と言う
我ら友人は略してフジさんと呼ぶ

フジさんは答案用紙の氏名欄に
いかに己の名を折り畳むかに
心を砕かねばならなかったため
成績はふるわないまま
大人になった

フジさんには
播磨灘鳴門海峡大阪湾遠泳通過人間離
(はりまなだなるとかいきょうおおさかわんえんえいつうかのにんげんばなれ)
という名の兄があった

兄さんは九歳の秋
この名で世を渡るには
甚だ難儀と悟り
十歳の春より播磨と名乗っている
余談であるが
今や貿易商を営む播磨兄さんは
外国の顧客相手に
わしの本名は煩悩と同じ百八画
と我が名を笑い飛ばす
凄腕にまでなった
重ねて余談であるが
播磨兄さんの名の画数を
数えた顧客は未だいない

兄弟の名付け親は
母屋の庭の北側の
廃屋に近しい庵に
天を突くような櫓を立て
昼は漢詩を楽しみ
夜は星空観察に勤しむ
一生涯を高等遊民で貫いた
外祖父であった

閑話休題、
フジさんは己の名に比して
狭すぎる氏名欄に
悩まされ続ける人生を送り
兄さんのように
名を略す器用さも発揮できず
彼は自分の名を
肩に担ぐことを定められた
濡れ布団のように感じていたが
ある時閃いたのである

己が消えれば
我が名も消える
人間が足を踏み入れぬ
深山幽谷に
フジさんは旅立つことにした

幼少に早々と我が名を克服した
播磨兄さんは
大人になっても尚
名の頑強な鎖に
がんじがらめにされている弟を
憐れんでいたため
弟が一生涯困らぬよう
日用品食料品など
ドローンにて送る手筈を整えた

さて、
フジさんの姿が町から消えて
どれほどの年月が流れたか
その男は今
遠く静かな山奥に
鳥や昆虫や鹿や兎を友に
人として生きている

投稿者

大阪府

コメント

  1. 人間社会で生きていくには名前が必要だが、動物相手なら人間であることが彼自身を意味するので名前は必要ないと、とそういう結論に至るのですが、落語の寿限無を連想させる兄弟の名前のインパクトがとにかく強いですね。百八画のくだりもいいですね。

  2. 名前、について考えさせる詩ですね。
    今までにも、何度か思ったことですが、名前は、あって無いような物ですよね。(ネットでの筆名とかを考えた際とかに思いました。)

  3. @たかぼ

    コメントありがとうございます。
    本名は自分を示すものであるのに、自分でつけることはなかなかありませんよね。名前は祝福でもあり、時に呪いになることも…。
    弟の名前を先に考え、弟が山なら兄は海だ、と。嬉しいお言葉、ありがとうございます。

  4. @こしごえ

    コメントありがとうございます。
    確かに!筆名は、いつでも捨てられる、その存在を消すことができる、不思議なものですね。
    また、多面的な自分のある一面を示す、大切な役割でもありますね。

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