歴史

きゃべつ売りの少女が
きゃべつの意味を知る時
きゃべつもまた
きゃべつの意味を知る
それが歴史の重みです、と
教壇できゃべつを千切りにしながら
歴史学の教授は講義をする
でも本当は
彼はきゅうり売りになりたかった
寧ろきゅうりになりたかった
歴史を学べば学ぶほど
それは叶わないのだとわかり
歴史の中でしか生きていけない自分を
歴史の箱の中に納めた
秋になると毎年箱の中で
鈴虫と一緒にきゅうりを食べた
歴史を学んだ結果辿り着いた答えが
鈴虫にはなれる
いつか鈴虫になれる日を夢見て
教壇できゃべつを千切りにし続ける
講義の帰りは八百屋で
きゃべつときゅうりを買う
途中公園に立ち寄ると
いつもやってくるカラスに
きゃべつの葉を一枚与える
彼はそのカラスに
運河、と名付けた
一緒にきゅうりを食べる鈴虫には
名前をつけなかった
鈴虫に名前などいらないと思った

投稿者

コメント

  1. 連想ゲームのようにイメージが移り変わり、それが揺れ動き、その間に歴史が作られていく。歴史に名前をつけることと、カラスに名前をつけることが同等なように。年代まで覚える必要はない。鈴虫に名前が必要ないように。

  2. 鈴虫になったら、彼の名前は無くなるのかしら。
    教壇でキャベツを刻んでみたい人生でした。そんな中、強風オールバックのMVを思い出しました。

  3. キュウリになれなかった教授がキャベツを千切りにするという役割を全うする切なくも美しい歴史。まぁ歴史は歴史だから名前でもつけといて、今を生きる名もない私は歴史つまり役割から解放されて自由に生きていきましょうか。

  4. @たかぼ
    たかぼさん、コメントありがとうございます。
    歴史、というものをどうやって認識してよいのか、そんなことをぼんやりと考えています。
    どうしても年代から入ってしまうし、それがわかりやすく把握しやすいのだとは思うのですが、たかぼさんがおっしゃるとおりそんな必要もないのかな、なんて最近ぼんやりと考えていて、どうしても年表で理解しようとすると線になってしまう。日本史や世界史を並べながら比較していけば面になってしまう。重要なトピックばかりを追ってしまう。
    今いるまさにここで何があったのか、自分がいるこの周囲例えば1メートル四方の中で何があったのか、名前が残っていなくてもどんな人がいたのか、そんなことを考えたりしています。

  5. @たちばなまこと
    たちばなまことさん、コメントありがとうございます。
    鈴虫になって彼は何がしたいのか、書いている自分でもよくわかりません。例えば着ているものを全部脱いで、家を捨て路上生活をしても、最後に名名前が残ってしまう、そのことが嫌だったのかな。
    強風オールバック、って流行ったのですね。初めて聞きました。ボカロというともっと完成度の高いものかと思いましたが、あの緩さが逆に完成度の高さなんですね。何となくその作風は相対性理論に通じるものを感じました。

  6. @王殺し
    王殺しさん、コメントありがとうございます。
    おっしゃるとおり、歴史って切なくて美しいですね。そんなに好きなジャンルではなかったけれど、年を取ったのかな。わたしも役割から解放されて自由に生きていきたいと思っているけれど、凄く俗っぽい言い方をすれば、長生きしたいと思っています。少しでも長く生きてこれからの歴史を一秒でも長く見ていたい、なんて思ってます。

コメントするためには、 ログイン してください。