幸せ
義妹から
「もう自分の幸せを考えてもいいのでは」
えっ 幸せに見えていないのだ
考えてもいなかった
幸せ? 幸せ?
思ってもいなかったことが10年
夫は アルツハイマー型認知症
今は特別養護老人ホーム
息子達はなんと二人ともに
離婚
孫は妻側に取られ
もう6年会っていません
お金がどんどん無くなり
家は売却しました
私は軽費老人ホーム暮らし
でも
杖や車椅子生活からリハビリ通院ながら
杖無しで歩けます
一生の楽しみと思っていた
茶道も家が無くなり
稽古もできなくなり
淡交会を退会
それなりに集めた茶道具は
それぞれに譲り分け
今は抹茶椀は三つ
伊羅保茶碗、唐津茶碗
琉球泡ガラス茶碗
盆点てで1人でいただいています
毎週教会のミサに与り
共に祈り
図書館で本を借りて
好きな読書三昧
息子達から毎月仕送りを受け
息子達も最近は
素敵な出会いがあったようです
私 幸せです。
コメント
幸せは自分が決めること、ですよね。
側からどう見えようとも、自分が幸せだと感じるのなら、それは幸せな生き方だと思います。
幸せに気付ける人は幸いですよね。
私個人的に思うことは、幸せって「幸せになるもんじゃなくて」、幸せに気付けるかどうかだと思います。と、今の私はこう思える幸せ。
この詩から、おだやかな温かさを感じます。この詩は、読者を温かな気持ちにしてくれる すてきな詩。
幸せは、気づきだと私も思います(それが受け身であったにしても)。この詩を書かれた山添さまは、気づかれたのです。気づくか、否か。大切なことです。
追記。あ、もちろん、幸せの形などにも、人それぞれに色々とあっていいとも思います。先述のことは、あくまでも、私個人の幸せについての思いです。
拝礼
孫には、あわせてよ!
と、思うのです
幸せって何だろうと、考えました。人にとって幸せの形はいろいろで、大変なことがあったからこそ、見えてくる幸せもあるのだろうと思います。時間とともに、不幸だと思っていたことも、実は幸せだったと気づいたり。今の幸せが、とても伝わってきて、この詩に出会えたことも幸せです。