折鶴
その絶頂の夏に
僕の愛しい人が死んで
世界が緩やかに
燃え上がった
細長い煙突から真っ黒な煙が
まるで魂の汚れた部分を
後から天に送り返すかのようで
僕は失望に似た感情を抱いた
ああ、そうか
誰も美しい心など持ち得ぬのだ、と
焼かれた骨々
ほろほろ崩れ
石積みの女の
背に吠え
汚れた魂を纏ったままの
まだ、生きている僕らにとって
暑すぎる空の表面に
彼女の残滓が霞のようになって
見えなくなるまで
追いかけようかと
うそぶいて
幾千もの折鶴の群れが
甲高い鳴き声をあげて
僕は思わず涙を
飲み込んだ
ようで
その絶頂の夏に
僕の愛しい人が死んで
世界が緩やかに
燃え上がった
[TONOMOTOSHO Rebirth Project No.099: Title by 怜]
コメント
綺麗だなぁ…。
ショウちゃんにしては比較的ストレートな詩だと思うけれど、“折鶴の甲高い鳴き声”が如何にもショウちゃんらしくて、やっぱり巧いなぁ、と思います。その感性が羨ましい…。
通常私たちは詩を書いてから題を考えるものだが、トノモトショウ氏はこのサイト上で、与えられた題に対して詩を書くという試みを続けている。つまり氏の詩にとって題は最も重要なファクターである。そのことがこの詩からも強く感じられた。私がこの詩から受けた感情は愛しい人が死んだ悲しみではなく、敗北感であった。死は誰にでも訪れるものでありその点では平等だが、訪れる時期と訪れ方に差があり、その点で平等とは言えない。人間の尺度で見た良い人や善悪の分からぬ子どもが早世したり、逆に人間の尺度で見て死んだ方がよい悪人が長生きする例など枚挙に暇がない。それは即ち私たちの理性と希望の敗北なのである。しかしこの詩で語られている愛しい人にはまだほんの少しの救いがあった。それが折鶴である。幾千もの折鶴はおそらく棺に添えられ一緒に火葬されたのだろう。ということは、この人は長い闘病の末に多くの人に惜しまれながら亡くなったに違いない。突然の通り魔に理不尽に殺されたのでもなく、事故などで急逝したのでもないという事が分かる。私は敗北感と共にそこに一抹の救いを感じたのである。
タイトルとのマッチングが重厚です。一行一行と沈んでゆくような優しくて美しい重さです。そう、汚れてる美しく無いとうたっているのに滋味もある美しさが滲んでいます。
絶頂の夏、って最上級ですね。
トノモトさんには不似合いなタイトルかなと思いましたが、美しくてお見事でした。