或る日の一日
おはよう、と一言写真へ声を掛ける老人。
写真のなかの人は宙へほほ笑んでいる。
木製の円卓の上には朝食のパンとコーヒー
祈りの言葉を宙へささやく老人
陽光に影は濃さを増し、老人はパンを持ち
幼子はさっきまで泣いていた大声で。
幼子は今ニコニコだ母親にだっこされて。
幼子は、その存在だけでも一つの希望だ
鳩時計が十二回鳴いた頃に、
一人の男が刺されてしまった。
何万年も
争いは絶えない。
命を落とした男はピースをいつも吸っていた
だだっぴろい草原を
象の群れが
水を求めて列になり歩いている
少女と少年の二人は
この日
初めての
キスをした
二人はこの後ほほ笑みあった
夜気の澄む公園で
月を見上げる
人が居る
これらのさまざまな事が起きているのだ。
同じ地球という
この愛すべき一つの星で。
私は今日息をひきとる。
私は今日産声をあげる。
コメント
なにげなくてさりげない日常が綴られてるのかと思って最後まで行ったら、まさにその通りです。マイケルのHeal The Worldが聞こえてくるような気がしたのは幻聴でしょうか?
@babel-k
さんへ マイケルさんのHeal The Worldという歌は知りませんでしたので、マイケルさんのHeal The Worldを検索して歌詞の和訳を読んでみましたが、幻聴? いい歌詞ですね。この私の書いた詩からマイケルさんの歌を連想してくれたことは とても光栄です。
babelさんがそのようにすてきにこの詩を読んでくれたことをうれしく貴重に思います。ありがとうございます。
柔らかな痺れのような余韻がいつまでも残るようで、作風としてもある種の到達を感じます。
@あぶくも
さんへ ああ、あぶくもさんがそう言ってくれて、ありがたく貴重です。ありがとうございます。
うむ、(この詩の場合だけか、自作のどれもか、今だけなのか)自分では余韻とかあんまり感じないのですが、それは自分で書いたものにある意味のまれているのかもしれませんね。
でも、あぶくもさんが、この詩について、作風としてもある種の到達を感じると思ってくれたことがとてもうれしいです。^^
争いも、豊かさも、諍いも、切なさも、…承認欲求も、自己顕示欲も、怯えも、赦しも。結局は人間そのものなのだなあ、と思います。人間は愚かだし、でも捨てたもんでもない。私も、人間です。
@長谷川 忍
さんへ 長谷川さんが先ずこの詩からそれらのことを思ってくれたりしたことがとてもうれしく貴重です。ありがとうございます。
そうですよねぇ。それらを含めて人間ですね。まぁしかし、宇宙や自然から見れば、人間も宇宙や自然の一部でしかありませんね。人間が争っていても、大きな広い視点で見れば、その人間の争いも(も)自然なことだと思います。ただし もちろん、争いはクソ未満(未満!)な愚かなことだと私は思いますよ。争いは大嫌いです。
でもそうですねえ、長谷川さんの言う通りで、人間は愚かな場合もあるけど、人間は捨てたもんでもないというのは同感です。私は人に恵まれています。
そう、前の私の詩などで私は自分のことを小鬼だと たとえましたが、私も、人間ですね。ふふ。
かっこいい。
これを拝読しているのは朝で、今日も命があって家族も元気で安全に住める場所で朝ごはんを食べることが出来ました。
そんな朝に鮮明に彫り込まれました。
@たちばなまこと
さんへ わぁ!うれしい。たちばなさんの朝に鮮明に彫り込まれたとのこと、とても貴重に思います。そのようにこの詩を読んでくださいまして、ありがとうございます。
うんうん、そうですねぇ。そう、今こうして居られるということは、今日も命があって、というですね。そう思うと、ありがたいですよね。
世界には、色々な今日や今がありますね。個人的には、(その人の環境もあるだろうけど)ある意味幸せってなるもんじゃなくて、基本的には この幸せに気付くことだと思うし、幸せにも人それぞれの幸せがあると思います。その上で、その人その人の人生が出来るだけ幸せであれば すてきだなぁとは思う。(私の今が恵まれているので、こういうことを言えるのかもしれませんし)それぞれの現実も色々でしょうけど。
この詩をかっこいいと言ってくれて うれしい。
たちばなさん ありがとうさま☆^^