束の間の友情
ぼくの海の底で
出会った秘密のともだちよ
二本の足で立ち
呻き声を上げて
揺れる炎に跪くともだちよ
赤き血潮の循環
獣を喰らう連鎖
機械文明の反復
世界大戦の因縁
始まりは終わり
そうして永遠に
欲望を振り翳すともだちよ
殲滅のための病
罰としての飢餓
気まぐれの天災
罪を負う核弾頭
終わりは始まり
そうして延々と
神に翻弄されるともだちよ
大地を踏み躙り
空気を掻き乱し
死にゆく運命のともだちよ
手と手を握って
笑い合いながら
心の奥を見通す
名前も知らないともだちよ
繋がる電波から
即席の共感性で
何ら表現しないともだちよ
さよならだけが
人生だとか云々
一人でつぶやくともだちよ
[TONOMOTOSHO Rebirth Project No.098: Title by 谷山亜実]
コメント
とんでもない熱量の人間讃歌に読めました。海の底から雲の上まで行くまでに、ともだちとよんでくれ、よばせてくれ。
私は、地球と人類の「束の間の友情」と読みました。地球にとっては束の間でも人類にとっては永遠とも思える人類発祥から人類滅亡までの歴史。語っているのは、ぼく=地球、語られているのは、ともだち=人類。愚かしい人類の歴史が語られていきます。
語感が最高です。
“秘密のともだち”が全てのともだちにかかっている想定で読みました。
束の間のともだちたち、今日呼吸した11月の空気もそのひとつなんだろうと果てしなく想うのでした。
『20世紀少年』に登場するトモダチを思い出しました。さみしい人間たちを惹きつける手練手管に長けたカルト。いつの世にもある悪の化身。それが友だち。
「ともだち」をどう捉えるかで、この詩の見え方がさまざまに異なってくるようにも思います。興味深いです。私は、ともだちを、作者のもうひとりの内なる「自我」と捉えて読んでみました。
ぼくの海の底で
出会った秘密のともだちよ
というのだから、ぱっと思い浮かぶのは、(私もたかぼさんと同じように)「ぼく」は「地球」で「秘密のともだち」というのは、太古から生き物的には進化してきた「ヒト」のことかなぁと思いました。
広い宇宙の中で出会った「秘密のともだち」を思う孤独な「ぼく」というか。この詩から、一種のさびしさを感じるけど、このさびしさは、なんというか気高いさびしさにも感じられます。
一人でつぶやくともだちよ
という最終行は「最後のヒト」を表してるのかな?
まぁ、私の場合も個人的に感じたことを言いました。
コメント失礼いたします。
全と個、そんなことが浮かびました。
全体的なイメージの連鎖から個へと移行していって、ともだちよ、と呼び掛けているような、ひとりごとのような。
三連目からの、様子の変化も印象的でした。
束の間に過ぎていくサイクル。
刻む心地がいたします。