秋の朝顔
久しぶりに通りから庭をのぞくと、黄色くなった双葉一組、緑の本葉四枚。てっぺんに蔓となる茎を伸ばし始めた朝顔がある。理科の教科書に載っているような、成長過程の見本通り、スタイルよい朝顔だ。ゆらり蔓を伸ばし、巻きつき、登り、葉をひらいてゆく朝顔だ。初夏ならば。
急に冷え込んで、それからまたしばらく晴れた秋の終わりに、芽生えた朝顔。
ねえ、遅咲きすぎるでしょ。
いえ、咲いてないし、咲けないし。
よく見れば、どこか虚弱だ。土から陽から大気から、緑をもぎ取る粗野がない。蔓や葉にざわざわと、白い産毛を生やすこともないのだろう。ーー美人薄命。
「余命一年、って言われたら何をする?」
問われたことがある。できることなら普通に今まで通り、毎日暮らすと答えた気がする。ちょっとばかり贅沢しながら。たぶん死の宣告を信じきれないだろうから。本当の正解はわからない。
あと何日、暖かい日が続くかしら。
わからないから朝顔を、抜くことは考えない。
コメント
エッセイのように始まり、自身のことと重ね合わさるような心の会話や回想があって、また目の前の朝顔に向き合うところが素敵だなぁと思いました。
ありがとうございます。
散文詩のような、行分け詩のような、興味をそそる書き方ですね。季節外れの朝顔。余命一年。そう宣告されたら、…たぶん私も、同じように答えるかな、などと想像しつつ、読んでみました。
@長谷川 忍
@あぶくも
コメントをありがとうございます。
散文のような、散文になりきらないような。自分の頭の中で考えごとをしている形に近いのかもしれません。
お読みいただき、ありがとうございます。
ウチにも秋の朝顔が咲いていました。
書けば良かったなと、今更思いましたが
おそらく、こんな風には書けなかったでしょうね。
余命一年~ のフレーズが印象深かったです。
@nonya
コメントありがとうございます。
日常のちょっとした気付きから
思索しつつ書くのが好きです。
nonyaさんならどんな朝顔の詩になったでしょうか。