秋の朝顔

秋の朝顔

久しぶりに通りから庭をのぞくと、黄色くなった双葉一組、緑の本葉四枚。てっぺんに蔓となる茎を伸ばし始めた朝顔がある。理科の教科書に載っているような、成長過程の見本通り、スタイルよい朝顔だ。ゆらり蔓を伸ばし、巻きつき、登り、葉をひらいてゆく朝顔だ。初夏ならば。
急に冷え込んで、それからまたしばらく晴れた秋の終わりに、芽生えた朝顔。

ねえ、遅咲きすぎるでしょ。

いえ、咲いてないし、咲けないし。

よく見れば、どこか虚弱だ。土から陽から大気から、緑をもぎ取る粗野がない。蔓や葉にざわざわと、白い産毛を生やすこともないのだろう。ーー美人薄命。

「余命一年、って言われたら何をする?」
問われたことがある。できることなら普通に今まで通り、毎日暮らすと答えた気がする。ちょっとばかり贅沢しながら。たぶん死の宣告を信じきれないだろうから。本当の正解はわからない。

あと何日、暖かい日が続くかしら。

わからないから朝顔を、抜くことは考えない。

投稿者

新潟県

コメント

  1. エッセイのように始まり、自身のことと重ね合わさるような心の会話や回想があって、また目の前の朝顔に向き合うところが素敵だなぁと思いました。

  2. ありがとうございます。

  3. 散文詩のような、行分け詩のような、興味をそそる書き方ですね。季節外れの朝顔。余命一年。そう宣告されたら、…たぶん私も、同じように答えるかな、などと想像しつつ、読んでみました。

  4. @長谷川 忍
    @あぶくも

    コメントをありがとうございます。
    散文のような、散文になりきらないような。自分の頭の中で考えごとをしている形に近いのかもしれません。

    お読みいただき、ありがとうございます。

  5. ウチにも秋の朝顔が咲いていました。
    書けば良かったなと、今更思いましたが
    おそらく、こんな風には書けなかったでしょうね。
    余命一年~ のフレーズが印象深かったです。

  6. @nonya
    コメントありがとうございます。
    日常のちょっとした気付きから
    思索しつつ書くのが好きです。
    nonyaさんならどんな朝顔の詩になったでしょうか。

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