ファイナル・レター
前略
お元気ですか
あの日は狂っていましたね
おれはまだ詩人でしたので
暗示めいた夜に隷属するしかなかったのです
ところできみは何を見ていたのですか
恋や愛などと名付けるには真実味もなく
ただ魂が共鳴するだけの不埒な交わりで
しかしあれほど気持ちの良い背徳は
後にも先にも訪れませんでした
きみもきっと思い出すでしょう
命に価値などないわ と言っていた通り
おれの人生は軽々しいほど平凡になって
もちろん詩など書かなくなって
何者にもならずに終わりそうです
きみが涙を流したから
きみが死を呼んだから
真冬の海を見に行ったことを覚えていますか
波が黒く荒く打ち寄せるのをぼんやりと眺めて
何も言葉が生まれない時間がいつまでも続き
繋いだ手が震えていたのがわかりました
あのまま二人で身を投げてしまえばよかったと
後悔しているのはおれも同じです
この手紙がきみに届く頃
おれはまた詩を書いているかもしれません
おれはまだ死を想っているかもしれません
もしまた会うことがあるのなら
もう一度あの海辺に行きませんか
ちょうどそんな季節ですので
[TONOMOTOSHO Rebirth Project No.081: Title by R-Holic]
コメント
みんないつもありがとう。
色々と言いたいことはあるが、あと数作で投稿も終わるので、余計な火種は残さないようにおとなしくすることにします。あともう少しだけお付き合いください。
まさに手紙。でも詩。詩のような手紙。手紙のような詩。その境界は曖昧だ。そもそも境界ってあるのか。私も古い手紙を取り出して詩に推敲してみたくなった。
おれはまた詩を書いているかもしれません
おれはまだ死を想っているかもしれません という ファイナル・レターという詩。
個人的なことを言うと、私は実際、結果的には最後の手紙を持っています。画家であり詩人であるMさんからの手紙。そのMさんのだんな様の手紙からMさんの死を知りました。Mさんとは長年文通をしていた。だんな様からMさんの死についての詳細は知らされませんでしたので、どうしてMさんが亡くなったのかは分かりません。
Mさんからの手紙は全て私の宝です。
詩作というのは、読者に向けての「手紙」なのかもしれません。ファイナル・レター。私自身に向けられた手紙、というふうに捉えて、または想像して、この詩を自分なりに読んでみました。
何もないから詩を書かない
という自分にはなりたくない
おとこのひとの詩は
何かくるおしくなるから不思議だなぁ