海と太陽
海に沈む太陽がとぷんと音を立てた頃から
四百粁を隔てた空間の温度差を埋めるべく
四百分の夜を持ち寄って我々は溶け合った
多分あの時我々は何かの爪先に触れていた
画面の中吸い込まれてしまいそうな感覚も
接続を断つと温度も匂いも消えてしまうが
呼吸するたび広がる穏やかな沼に足を浸し
数日間悶々としていたのだ言語化できずに
答えらしきものは日常の合間にふと訪れる
ランボオが囁いて小林秀雄の言葉で降りる
つまり永遠だったのかあれはと腑に落ちる
あなたにとってもそうであれとは願わない
永遠は何度でもやってくる死みたいなもの
かわりばんこに与え合う死は生を飼育する
夜明けを迎えるとまた震えが止まなくなる
溶け合ったままで分離することはもうない
生まれた意味も生きてく意味もこれで十分
時の蓄積なんて何の意味も持たない今が今
今海から太陽が昇ってくる変わることなく
変わらないものなんて死んでるみたいだろ
コメント
この詩の一行一行の詩の迫力にこころが震えます。詩の言葉の重さと強度の確かさというかですね。特に4連と最終連が好きです。
文字数をきっちりさせているところもすごい。まだまだ私の気付かない工夫があるのでしょうか。技術的なことは もちろん、詩のこころが、もっと言えば 詩の魂がこの詩にはある。詩の力というか。うまく言えませんが。うん。
@こしごえ
さん、ありがとうございます。
結果的に揃えましたが文字数もたまたまみたいなもので、他に特に技巧を凝らす意思も仕掛けもありません。なので、寧ろ詩のこころ、詩の魂を感じて頂けてとても嬉しいです。ある出来事→気づき→自分の解釈と流れる中で、ポジでもネガでもない感じを読む人に差し出せていれば本望ですかね。
何人かの詩人と詩人の一節が感じられて、やはり詩を取り巻く環境って良いものだとまた一つ刻むのでした。
書かないときも描かないときも詩人は詩人ですね。
@たちばなまこと
さん、ありがとうございます。
ゴダールでもあるまいし、まさか朝のジョギング途中に、まともに読んだことすらないランボオが小林秀雄訳で降ってくるとは自分でも驚きでした。