光の光と影の影

お日さまへ向かって
手を合わせて目をつむる
その詩人の姿が
逆光に浮かび上がる
いのちの静かさ
時はしばらく止まり
とんぼのあくび
あたたかくすぎる
その詩人のいのりは
世界へ解けていく
いのる必要の無い世界になればいいねと
いのる

未来の今も
いのりは絶えないか
もしその時も
いのりが絶えないのならば
それは悲しいことだ
いのらなければならない世界なんて。

二度と読まれることのない詩のいのちは
誰にも傷つけられることはなく
自転しながら
人知れず
存在しているいのちだが、
これが善いことなのか悪いことなのかは
わからないまま
その詩人は
今を
未来に
忘れ去って逝く、忘れたくない いのち

融合した光といのりが強くなるほど
その詩人の影は濃くなり
いのちは静かさを増すばかり

投稿者

コメント

  1. 「いのる必要の無い世界になればいい」とは、本当にその通りだと思いました。人と人の関係のように、空に放った詩たちが我々の預かり知らぬところで響き合って存在している様を想像しました。

  2. @あぶくも
    あぶくもさん コメントありがとうございます。
    はい、そうですねえ、いのる必要の無い世界 というのはとても平和な世界だろうと思いますね。あぶくもさんが本当にその通りだと思ってくれて嬉しくありがたいです。
    うん、ああ、あぶくもさんがそれらの詩の運命をすてきに想像してくれて貴重に思います。うん、きっとそうだと思いたい、読まれなくなったその詩たちのいのちもこの宇宙の魂の内で響き合っていますよね、と。ふふふ。
    ああ、あぶくもさんがすてきにこの詩を読んでくれて嬉しい。あぶくもさん ありがとうさま。

  3. ヨガの太陽礼拝のアーサナを思います。
    そして、小さな宇宙が営まれているようでした。

  4. @たちばなまこと
    たちばなさん コメントありがとうございます。
    ああ、ヨガでそういうのあるんですね、初めて知りました。太陽さんを拝むのって時々します。でもまぶしいので今は目をつむって。
    その上、たちばなさんが この詩から小さな宇宙を感じてくれて それを思ってくれたと思うのですが、そのことが貴重に思います。ありがとうさま。
    うん、小さな宇宙って きっと さまざまなところにありますよね。自分のこの体を作っている原子などもそうかも。そう思うとすてきだと思いませんか。ふふふ。うん。

  5. 祈っている姿は、美しく、いとおしいなあ、と思うのです。願いであり、感謝であり、誠実であり、哀しみであるのかもしれませんね。

  6. 不完全さが
    宇宙を構築しているのですね

  7. @長谷川 忍
    長谷川さん コメントありがとうございます。
    ああ、そうですよねぇ、祈っている姿って どこか美しいと思えます。その人が祈るのにはさまざまな思いがその時その時にあるのでしょうね。うん、哀しみであるかもしれない、というのはでも気付きませんでした。長谷川さんにそう言われて、ああ そうだなぁ 哀しみのある祈りもあるのかもしれない、と想像します。
    長谷川さん、気付かせてくれて ありがとうさま。
    理屈ではなく美しいと思えることって、ある意味貴重ですね。ふふふ。うん。

  8. @那津na2
    那津さん コメントありがとうございます。
    そうですねぇ、宇宙にも魂という命がある、と私は思っています。でも、私がいつも繰り返し言っていることで「魂という命は原初から欠けている」というのがある。なので、宇宙の魂(命)も欠けていて、そこから生まれた私達の魂(命)も一部分欠けている。だから、私達は何かを(もしかしたら命を)求め続けるのだろうと思っています。うん。
    那津さんが この詩からさまざまに感じてくれたであろうことをありがたく思います。ありがとうさま。うん。ふふふ。

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