ジェンガティンガ司令
ジェンガティンガ司令
来る日も来る日も定位置まで数メートルを進む。食べるため生きるために日々が変化の暮らしの繰り返しのなかで一挙一動ひと言葉ひと言葉が命とりになる世界で生きてきてこれからも生き続けるしかない「私」と。「貴殿」とでは全く違う一生なんだ。たぶんもしかすると立ち位置が逆の人生なんだ。楽しいとか嬉しいとか悲しいとかではなく「私」は個として賢くなる一方であり「貴殿」とは更に距離が広がっていくだけのことだ。
「私」を守るために「私」は個としても賢くなるだけで普通のたいして頭が良いわけでも偉いわけでも貴族なわけでもなんでもない。もしかすると「私」より自由に生きている「貴殿」は小さな真似を繰り返しながら「私」になりたいと勝手に思っているのかもしれないけど更に距離の離れてしまった今を考えるだけでも残りの生涯ぶち込んでも既に年老いた「貴殿」は「私」にはなれないと「私」は理解していて「私」は今さらある意味最初から「貴殿」になりたいとは思ってはいない。
「私」は「貴殿」を「箱につめて」プラットホームに置いてけぼりにしてしまった。もしかすると最も弱かった「貴殿」を助けるどころか生け贄に実験台にしてしまった。その報いを残りの人生で受けているのだとも思わない。ある意味、実験は今も続いていて「貴殿」との距離が細かくわかるたびに「貴殿」との違いが明確化してくるのだ。
振り返れば、このサイトに参加してきて今までは全て「私」の内面の物語りだけど対をなして同じように「貴殿」の外面の物語りでもあったのだろう。
「私」は猫を飼っている。
困らせたことも虐めたこともない。
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どろんこ遊びは楽しいか
どろんこだらけのこの子どこの子
シャワーを浴びたら
人ではなくて猫でした
このこどこのこねこ
このねこどこのこ
こねこねこのこ
このこはのらねこのこねこ
のらねこのこねこならのらねこね
みんなでお話ししていたら
驚いたことに
こねこが喋りだしました
オラはノラの家猫ノラ猫じゃない
ひとりぐらしのノラのいえねこ
ノラのいえねこはのらねこではない
ノラはきょねんしんだよもういない
ノラのこねこはのらねこに
おやもいないみなしごのこねこ
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こねこねとねここねこねとどろ遊び
有り無しはどこでもドアのことではなくて開いた先の良し悪しに
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