025
群れることが
嫌いなわけではない
生来の面倒臭がりが祟ってか
気がつくと
ぽつんと置いていかれる
翼はあるが
飛び方は忘れてしまった
自由という恍惚と不安は
今となっては
懐かしく擦り切れた記憶
気楽でいいや
吐き捨てた苦い口癖を
誰のせいでもない風が攫っていく
そうなんだ
いつだって誰のせいでもなかった
何気なく一歩踏み出す
起こる 波紋
もう一歩踏み出す
広がる 波紋
まだ失っていなかった水搔きが
起こす 波紋
私の在処を露わにする
波紋 波紋
波紋が辿り着く岸辺で
咲く花もあるかもしれない
まだ
やらなければならない
コメント
こんな想いが季節のようにいつもめぐってきます。
心の波紋や、風の向くままな心持を、水辺の鳥に例えているセンスが秀逸です。
@ザイチ さん
>コメントありがとうございます
このカワウはずいぶん長い間
この姿勢で池の向う岸を眺めていました。
カメラを向けているうちになんだか人の姿と重なって
いろいろと想いを広げてしまいました。
波紋、という言葉のリフレインが印象に残りました。それでも個として、何気なく、訥々と踏み出す一歩。…波紋。
コメント失礼いたします。
外からはみえなくとも、内側は波瀾にみちているものなのかもしれない。そう憶えます。
@長谷川 忍 さん
>コメントありがとうございます
自分の起こした波紋について考え始めたのは
だいぶ歳を重ねてからでした。
大人になるのがずいぶん遅かったようですね(笑)
今では、波紋を肴に酒を飲むのが好きです。
@ぺけねこ さん
>コメントありがとうございます
他人はもとより自分でさえ内側のことはよく分からないものです。
生きることが内側で起こる波紋を見たり見なかったりすることだとしたら
詩作は波紋の行方をいつまでも追い続けることなのかもしれません。