失礼します

ありがとう
空よ
私の至らない部分が
人のこころを傷つけてしまうのは
私が至らないからです。すると
みんなが至らないよ、と
空は
青ざめてくれる
空よ
ありがとう
いくつかの雲は ほのかに光る 風に乗って
ぽっかりぽっかり進むから
私はなんだか
とらわれていることにバカバカしくなって
ぽっかりぽっかり進もうと思える
ありがとう
雲よ
さようなら
みんな

みんなか
ありがとう
みんなよ
悪も善もその他も含めた
みんな。でもね
悪は悪か
けれど
私の悪を悪は肯定してくれる
でも、悪にはありがとうと言ってはダメかな
私にも善があるから
ありがとう
善よ 善は善か
ありがとう
礼も過ぎれば無礼になる
またね

投稿者

コメント

  1. ※ 詩「失礼します」 初出 日本WEB詩人会

  2. 脳内のひとり禅問答のようですね。「礼も過ぎれば無礼」でタイトルが「失礼します」がユーモラスです。やっぱり人間は空を見上げないとですね。

  3. @あぶくも
    あぶくもさん コメントありがとうございます。
    ふふ、そうですねぇ、禅問答!
    タイトルは、いつも大体、本文を書いてから決めています。今回のは、最初ほんの少し「無礼」にしようか、と思ったのですが、広辞苑を引いてすぐにやめました。で、さようなら、と も本文で言ってるので、「失礼します」と。

    あぶくもさんが、その点をユーモラスと言ってくれて 嬉しいです。あぶくもさん、ありがとうさま☆^^
    ふふ、空大好きなんです。特に青空が。青空に雲がいくつかぽっかりぽっかり浮かんでいるのが最高に好き。ふふ。そういったそれらの空を見上げます。うん。

  4. 悪も善も同じところから生まれて
    猫も何匹もいると
    餌がなくなれば共食いするけど、けろって生きる
    本当の悪も本当の善も空に溶けていく時に無になるのかもしれないが記憶と体感が残ったものの善と悪になりそれが繰り返されたり色んな個がまた生まれて行くのだなぁと思いました

  5. 作中の、ありがとう、という言葉のリフレイン、いいなあと思いました。人の中には、善も、悪も、重なり合っています。だからこその、ありがとう、なのかな。

  6. @那津na2
    那津さん コメントありがとうございます。
    はい。那津さんの言ってくれた通りですね。^^
    悪も善も、ヒトが勝手に決めていることですね。宇宙や自然から見れば、悪も善も無い。それはただの自然ですね。ヒトだけが、それは悪いだの それは善いことだのと勝手に騒いでいる。ふふ、宇宙や自然から見れば、ある意味 滑稽ですね。

    それでも、ヒトが、悪や善を無視してはいけませんね。無視している一部のヒトが居るから、人間社会はおかしくなっている。他の生物まで人類のとばっちり受けて、他の生物たちが迷惑してますが。
    ずっと前から時々思っていますが、100パーセントの善人も居なければ、100パーセントの悪人も居ない、と思います。これに限ったことではありませんが、何事も バランスが大事ですね。

    でも、前にも言ったかもしれませんが、ヒトも自然の一部ですよね。なので、ヒトの悪も善も宇宙から見れば自然なことかも。

    那津さんが、この詩から、色々に感じたり思ってくれて ありがたく貴重に思います。那津さん、ありがとうさま☆^^

  7. @長谷川 忍
    長谷川さん コメントありがとうございます。
    善も悪も、ある次元・ある意味では、私を支えてくれています。
    善は、もちろんのことですが、悪もね。
    悪は、私の悪を肯定している。
    だから、みんな(みんなとは、広辞苑によれば、すべて、という意味もあるとのこと)へ、感謝 したいのですよね。

    あと、悪は悪か 善は善か、ということ。
    その時その場合によって悪であることが、異なる人や異なる時や場合によっては、その悪が善にもなる場合がありますよね。
    反対に、よかれと思ってしたことが、その人やその時・場合によっては、悪い結果などになる場合もある。そういう経験を身近なことで経験したことがありますので。
    まあ、だから、放てば満ちる、とか、足るを知る、とか、行雲流水で人生を生きられたら すてきだなぁと思うんです。ちょっと話をずらしましたが。ふふ。

    しかし、感謝する、、、ことで、自分の大切な何かを守るんです。そういうことだと思います。
    長谷川さんが、この詩の ありがとうをいいなあと思ってくれて、この詩も私も救われました。長谷川さん、ありがとうさま☆^^

  8. 青ざめてくれる空、いいなあ。
    なんでも過ぎると確かにマイナスにも働くんですけど、それが良かったりすることもあるんですよね。

  9. @たちばなまこと
    たちばなさん コメントありがとうございます。
    ふふふ。青ざめてくれるんですよねぇ。って、そんなことはないんですが、これもまた私の精神世界での話「みたい」なね。^^
    そうそう、何事も過ぎるのは良くないですよね。でも、たちばなさんが、この詩から、それが良かったりすることも(も)あるんだ、というふうに捉えてくれて、嬉しくてありがたく貴重に思います。たちばなさん、ありがとうさま☆^^
    うん、過ぎるとね。悪は悪か 善は善か、ということと少し関係あるかもしれません。よかれと思ってしたことが、かえって悪かったりしてね。少し違うけど、過ぎる場合とかね。過ぎたことが、プラスに働く場合もたまにはあるでしょうね、確かに。^^
    まぁ、タイトルが 失 礼 します なんでね。ふふ。うん。^^ 説明すると、うまく言えないんですけどね。えへへ。^^

  10. おはようございます。
    人はみな心の中に地獄や欲望、慈悲や歓びなどを持っていますね。
    善悪も表裏一体だと思うのです。
    それにしても、返信はご無用と言いましたが独りで呟いているのも味気ないものですね。
    よろしければこしごえさんが疲れない範囲で相手をして頂けけないでしょうか…
                       レタス拝

  11. @レタス
    レタスさん コメントありがとうございます。
    レタスさんが、返信無用と言ってくれたことに 甘えてしまいました。ごめんなさい、拝礼。
    至らぬ部分もあるかとは思いますが、これからは、出来る範囲で返信していきたいです。拝礼。^^

    さて、本題。

    おはようございます、拝礼^^
    そうですねえ、レタスさんの言う通り、人の心には、悪い部分も善い(良い)部分もありますね。
    でもその善悪などは、ヒトが生存してきた中で作り上げて、ヒトが決めたこと。「ヒトの『勝手』」とまでは言いませんが、ヒトが決めただけの話ですね。

    いえ、それが いいとか悪いとか言っているのではありません。

    宇宙さんや自然さんから見れば、ヒトが「決めた」善悪なんてもんは、無いもの、だと思います。
    でも、ヒトには人のルールがありますね。人が決めたルール。そのルールを守らないと、社会や人間関係などがおかしくなる。現におかしくなっていますね今も(大)昔も。だから、ヒトが決めた、善と悪、という考え方も(も)必要になってくるのでしょう。
    大道すたれて仁義あり、ともいいますね。まあ私は、難しいことは分かりませんが。

    うむ、まあ、できるだけ ですが、できるだけ人様に迷惑を掛けないように生きていきたいです。ふふ、私は、いろいろと至りませんけどね。^^; 拝礼

    レタスさん、すてきに沢山のコメントご感想をありがとうさま☆^^

  12. はい。こしごえさんの仰せの通りですね。人間以外善悪は無いです。
    己が生きやすいように相互扶助しているかが善とされるのでしょう。
    人には死の恐れが在ったり、様々な思いがありますけれど、私も世間
    に迷惑がかからぬよう生きて生きたいとおもいます。
    でも、こしごえさんは私にとって善です。言葉に救われています。

                            レタス拝

  13. @レタス
    レタスさん コメントありがとうございます。^^
    はい、そうですねぇ。
    まあ、いろいろとありますね。いろいろな物事や存在が いろいろにですね。

    はあ、レタスさん、ありがとうさま♪☆^^私のことを善と捉えてくれて♪^^拝礼

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