陶器市

陶器市

陶器市に行きました
人や犬がいました
いろいろな色や形に
溢れていました
とても手頃なお値段だし
お金がないわけでもないけれど
何を買っても
わたしのものには
ならない気がしました

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コメント

  1. >何を買っても
    >わたしのものには
    >ならない気がしました

    所有することを拒絶されているような、
    自分には所有する資格などないような、
    そんな疎外感を感じる時ってありますね。

  2. 素敵なものがたくさんあっても自分に馴染むものに出会うことは本当に稀ですよね。

    自分で焼くと、へんてこりんでもあっさり馴染んだりします。

  3. 陶器市、今年の秋は見送ったのですけれど好きです。
    市の熱気に当てられたようなイメージを感じます。
    ワンポイントの鳥がかわいいです。

  4. @大覚アキラ
    大覚アキラさん、コメントありがとうございます。
    そうなんですよね、壁というか、手にしているのに、とても遠いところにあるような。自分が試されているような。

  5. @日朗歩野
    日朗歩野さん、コメントありがとうございます。日朗歩野さん、趣味が多彩ですね。
    多分、釣りも嗜んでおられるような。
    自分で焼くと自分に繋がるのかもしれないですね。いつかやってみたい。

  6. @たちばなまこと
    たちばなまことさん、コメントありがとうございます。
    益子、行ってきました。7時前には着いたのに、大渋滞で駐車場を探すのが大変でした。このマグカップは若い作家さんが焼いたものだそうです。鳥がお洒落ですよね。

  7. こんなセンスの良いマグカップで朝を始めてみたいです。この詩の最後の
    「何を買っても
    わたしのものには
    ならない気がしました」
    がとてもとても素敵な感覚だと思いました。買物(所有)って、またいつか離れていくものを一時的に「お迎えする」行為なのだろうと改めて気付かされます。そういう意味でも大切にしないとなと思えますね。

  8. @あぶくも
    あぶくもさん、コメントありがとうございます。
    一時的にお迎えする行為
    すとん、と胸の中に落ちた気がします。
    もしかしたら数時間後には割ってしまうかもしれない。けれど、せっかく出会ったのだからその時まで大事にしたいと思います。

  9. 私も昔…社会人なりたての頃、友人と信楽焼の陶器市に行った時の事を
    思い出しました。何を買おうかテントを巡って迷いました。お茶碗、
    カップ、どれも手にとって見ると温かみあって魅力的、それぞれ作家の
    個性が際立つ作品で、何か…この値段じゃないんですよね。鑑賞して
    帰ったのを覚えています。
    たもつさん、この作品、見事です!(^ ^)

  10. @リリー
    リリーさん、コメント、ありがとうございます。益子に行ったのは15年ぶりくらいです。信楽というとタヌキのイメージですが、益子の物販センターの所にも何故か巨大なタヌキがありました。
    15年前より、デザインが若者向きになっていた気がします。

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