演技
石を見る人の解釈と言う演技
「石は、Twitterをしないだろう」
公園について考える人の解釈と言う演技
「公園は、浮浪者を(無言で)定期的に、受け入れます」
風について考える人の解釈と言う演技
「貴方の肌と、女の子のスカートをそうっと、揺らします」
女の子について考える人の解釈と言う演技
「それを受けて、キャーと叫びます」
TVカメラについて考える人の解釈と言う演技
「それを、映します」
視聴者について考える人の解釈と言う演技
「それを見て、思わずドキッとします」
この広い無限大宇宙に在る、青い惑星はどこかでなにかが起こしたファーストアクションから、リアクションを繰り返し続け、回り続けています。人はそれに対し、延々と思いを巡らせ続ける。夢の中でも、脳は解釈という演技をし続けています。
あの時、ああ感じた。瞬間を映し出す、思い出す演技。
人は忘れた時、対象への解釈の演技を失う。そして新たな解釈へと移り変わるのです。
解釈の自由が常に人を成長させます。一歩一歩と思考の歩を進ませます。
停滞。それは解釈の自由を失った時です。
忘れないと、思い込みから解釈の自由な角度を失います。
つまり、どうでも良くなるまで考え、忘れた後、またどうでも良くなくなる。その繰り返しなのです。
結局は、皆忘れているのです。脳が自動的に、忘れさせているのです。
人は忘れていたことを忘れていく。
こだわり続けていたと思い込もうとする。
寝ている間までそのことについて考え続けていたか? 朝昼晩まで考え続けていたか? 結局はどうでもいい瞬間があったことを忘れてはいけない。
忘れる前に考えていたことを、もう一度、自分で思い起こし、それを固定し、こだわり、こだわる必要があると考えてしまっているのです。
何故そうなるのか? それは、責任感と誠実さ故です。
その誠実が報われなかった時、もう忘れていくしかありません。記録して、記録したものさえ、報われないことが時にあります。それは、価値を認められなかった時。
そうしたら、それを手放すのが最善です。
何故人々があらゆることを手放し、諦めてしまったのか?
それはこの世界が、誰にとってもどうにか出来るものではないことの証です。
地球はいつか壊れ、宇宙は膨張と伸縮運動を繰り返し続けていく。
その神の意思を止めることは、誰にも出来ないのです。
瞬間瞬間を生きている私たち。その合間合間を過ぎるこの想念。
もし、貴方の肩に石が落ちてきた時、痛いと思うのは一瞬です。
何故、石は落ちてきたのか? その石は一体、どこからやってきたのか?
ファーストアクションへのリアクション。そして解釈と言う演技をする。そして貴方はまた動き出すのです。
「ハッとして、グッとくる」
「パッときて、ハッと目覚める」
「何故、来た? 一体なにをしにきた?」
貴方の元を、私の文章が尋ねたのは、今この瞬間です。
それが、私がこの文章でする演技。
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