洋館と母
洋館と母
北川 聖
小さい頃、夜の銭湯に行く道に古い洋館があった
月は煌めき星が瞬いていた
僕はその洋館をお化け屋敷と呼んでいた
人のいる気配はなかった
側に駄菓子屋がありそのお婆さんも怖かった
それから学校へ行くようになり
中学頃その辺りに久しぶりに行ってみた
そこには何もなかった。ただ空白を除いては
当時、私は6歳くらいだったと思う。母は自転車預かりという、男でも容易ではない仕事をして私たちを育てていた。午前6時から午後10時過ぎまでという長時間労働をしながら、私の好きなエビフライを作ってくれた。お弁当は必ず2段重ねののり弁と炒った卵であった。仕事が終わると母は私たちを連れて銭湯に行った。当時、家風呂は殆どなく何キロもかけて通う姿も普通だった。繋いだ手から母の優しさが伝わってきた。疲れると母の背中におぶさった。あの温かい守られたような感触は決して忘れることはない。
その背中で母がよく歌っていたのが「月の砂漠」であった。その歌声は僕の心の奥に染み渡っている。父と母には言うに言われぬ事情があった。
先のくらには 王子さま
後のくらには お姫さま
乗った二人は おそろいの
白い上衣を 着てました
母はどういう気持ちで歌っていたのだろう。
私は今もただ涙が出て止まらない。
コメント
6才か。ものごころついてほんの数年。急速に知恵がついて、何となく子供ながらに見えてくるものがあって。
お母さんの優しさ、それを求める子供の本能に似た思い。その一方で何となく察するお母さんとお父さんのこと。
詩の語り手さんはお母さんのことを思い出して涙が止まらない、とありますが、読んでいる私はこのこの子が本当に意地らしくて、抱きしめたくなります。
この詩を理解していただいてありがたく思います。
寂しさと懐かしさと空しさと。