詩人になりたいんじゃないんだ
詩人になりたいんじゃないんだ
漫画家になりたいんだ
歌手になりたいんだ
そのために、名前を売りたいんだ
詩人になりたいんじゃないんだ
詩人になりたいんじゃないんだ
好きなことをやりたいんだ
自由になりたいんだ
そのために、公の場に行きたいんだ
詩人になりたいんじゃないんだ
詩人になりたいんじゃないんだ
知的なゲーム思索の世界に耽りたいんだ
そのために、お金が必要なんだ
詩人になりたいんじゃないんだ
詩人になりたいんじゃないんだ
だけど、詩人でもいいんだ
このまま朽ち果ててもいいんだ
詩人になりたいんじゃないんだけど、別に詩人でもいいんだ
コメント
とても共感できます(笑)
あっ、笑ってはいけないか
素敵な作品UPありがとう
どうもです。それにしても暑いですね。
頭がスパークしそうです。
環境と頭の中とどっちを信頼するか?
環境も欲しいですよね。
詩はあらゆる表現芸術で最も機材に関し、リーズナブルな表現媒体ですが、機材や人材を使って大掛かりにやりたい作品制作は、貧乏詩人には難しいです。
頭の中のゲーム、これだけは貧乏でも手放したくない。それが私の生きがいですから。共感して頂き、嬉しいです。
友川かずきというミュージシャンが、詩を描けば誰でも詩人になれる
的なことを、盟友だった故たこ八郎さん(元ボクサーだった方です、ご存じかわかりませんが)との
思い出とともに、彼に向けて描いたという歌について語っているときに
そんなようなことを言ってました
この詩は、一見すると詩人になりたかったわけではなく
他にやりたいことがあったけど、物理的に難しいから詩人でもいいんだ
と言っているようで、その実
作者さまの詩に対する真摯さ、大事にしている様が感じ取れるように思いました
@雨音陽炎
ありがとうございます。詩人を志したことはないけれど、詩人だねって言われることがあって。
詩を書くのは、現代ではとても孤独な作業だと思います。昔は句会のようなものがあって、新しい詩の形を作ろうと言う時に、共作をするコミュニティがあったと思うんです。
僕が漫画家や歌手をやりたいと思うのも、同じ志を持った同志とコミュニティの中で、作品制作を作るのが楽しそうだからです。
後やっぱり面白いことをやりたいと言うのがあって、芭蕉の時代は、そう言う遊び心を大切にしていたと思うのですが、今詩を書く人同士で私の好きな赤塚不二夫先生のように、面白いことをやろうと言う楽しい仲間がいる詩人会みたいのは聞いたことがないんです。
詩というのは高尚なものという一面もありますが、私は芭蕉の時代のように、遊び心を大切にしたい。
それでいて、この詩は確かに、言葉を揃えることにこだわり、詩人じゃなくていいんだと詠みながら、詩の要素を踏み外してない。ロックや漫画の世界で、ロックや漫画へのカウンター批評があるように、詩の世界でも、詩に対する批評やカウンターがあっていいと思ってるんです。それは違う視点でものを眺める発見や刺激にもなりますからね。反響があって嬉しいです。
あ、わかる!自分もそんな感じです。
@あまね/saku
表現者になりたいっていうことだと思うんです。先ずアイデアがある。それを活かし表現するのに適切な場であり形態は何か? 本当は詩人のつもりじゃない予定じゃなかったんだけど、詩の中でも出来るかもしれない。そんな感じです。すると詩の中に色々な要素が盛り込めるようになる。詩のための詩じゃない。