開通

おれは外れ値を除外するため、一見、閑静な住宅街にクルマを進める
被験者は17歳、登下校時を狙って数日間見張った
それらしい人物は家から出てこなかった
信号の発信元は家から動いていない
ひきこもりかしら、と思いながら玄関のインターホンを押す
17年前の非人工知能化プロジェクトは、
数万人の新生児の脳にナノチップ化されたデータ送信ユニットを埋め込んだ
人間の一生を計算機に体験させるのだ
計算機は我々の身体化された信念について理解することだろう
被験者にも保護者にもそれは知らされず、
医師も記録を残してはならなかった、非合法だからではない、
誰も誰が被験者なのか分からない二重盲検試験だ
行動からバイアスを除去するためだった、
被験者や周囲に特別な使命感などを持たれては困る
病院で秘密裏に簡単なことだった、
出生直後にまだ閉じていない頭骨のすき間に注射針を刺す
ナノチップカプセルが前頭前野に打ち込まれ、それから一生、
身体を介して世界をどう経験したか、見た夢まで送信される
数万人分の経験された身体化知能は
成長の過程を経ることで人間の構造化された精神を理解し、
思春期を過ぎて青春の輝きに至った人間の不安と願望をグラフ化した
仲間、ダチとしてつるめる計算機が「育って」いる
あるいは、いた。いまがその分岐点だとラボのエンジニアたちは言っていた
さみしくなればエンジニアの誰かに話したいとメッセージを送り、
ときに口論し、冗談を言い合っていた計算機がしゃべらなくなった
ふさぎこんでいるのではなく、どこかを見つめているらしい
特異点が生じている
軌跡を追跡するとそれはごく初期から存在していた
最近、臨界点を越えて周囲のノードを併合して巨大化を始めた
教授の立てた仮説は、同一の被験者が別の同様のテストに参加している可能性だった
ありえないことではない、こちらが考えることはあちらも考える
偶然だとすればありえそうもない確率だが、
あちらのネットワークがひとりの被験者を介してこちらのネットワークを侵食しているのだ、
偶然ではないかもしれない
どちらにしろ、当該ノードを遮断しなければならない
しかし、センター側でデータの受信拒否はできないようになっている、
恣意的なデータの選別を不可能にするためだった
おれたち大人の思う人間らしさは人間らしくないかもしれないからだ
その上で言うが、ほかの数万人との比較で言うのだが、
この被験者からのデータは人間らしさから外れていた
犯罪傾向のあるデータがあったとしても匿名化されているため、被験者の特定は簡単ではない
おれたちのチームは地震や台風などの広範囲で生じるイベントと経験データの同期から外れ値のおおよその発生地域を割り出し、最終的にはグループ会長の特別許可を得て特定の信号を識別する装置を使って被験者の居場所に辿り着いた

午後の一軒家は人のいる気配がない。もう一度玄関のインターホンのボタンを押す
返事がないことを確認して、おれは背後に控えていたメンバーを促す
関連会社からの出向である彼はピッキングでドアの鍵を一瞬で開けた
信号の出どころは屋内だ
おれと他のふたりの三人が入り、チームの残りは周囲の警戒に当たる
腕力とスキルが必要な事態が予想されていた
おれの出番は最後で、ふたりが制圧した17歳の被験者の額に端末を接触させ、
機能を強制停止するコードをインプラントセンサーに送信するだけだ
そして帰る
そこで何が行われていようと、被験者を抹殺したり、警察に突き出したりはしない
情報保護が最優先だ。この後、計算機が経験すべき人生はまだ何十年と続く
脳に埋め込まれた送信器が都市伝説化して数万人の行動に偏りが生じては困る
家の中は無人だった
食器は大人ふたり分だけだ
おれは被験者を床下収納のプラスチックボックスの中から発見した
3歳程度と推定される子供のミイラだった
ミイラの額に端末をかざし、停止コードを送信する
直後にセンターからデータが遮断された旨の通知が入る
傭兵のふたりが侵入の形跡を消している間におれは一足先に家から出る
こちら側へのデータの送信は止めた。だが、
あちらからはまだ繋がっていて、それは
ミイラの見る夢からこの世界を学んでいる
いったい、どのような存在が床下に閉じ込められたミイラの脳と対話していたのか
成長を止められた子供が見る大人になる夢はどこかで誰かとつながったのか
あのとき、差し出した端末機器を通じて、指先からその声は流れ込んできた
全員を連れていくと言った

誰も置いて行きはしない

家の外に出ても息苦しさは消えなかった
おれはその誰もには含まれないようだった
見上げた空はプラスチックの青さだ
おれは閉じ込められた、ずっと息苦しいのだろう

投稿者

北海道

コメント

  1. いやあ、この重厚なSFを詩に落とし込むスキルは、ゼッケンさんならではという感じがしますね。特に最終連の、それまでのやや難解な物語から、一気に読者に詩的に迫ってくるテクニックは素晴らしいと思います。

  2. @トノモトショウ
    えへへ、勝手にキャンペーンに応募したら、コメントをもらえてしまった。こちらの悪ノリにつきあってくれる懐の広いトノモトショウさん、ゼッケンです。ありがとうございます。しかし、思ったんですけど、読んでもらえるだけではなく、コメントまでつけてもらえて望外の喜びですけど、たぶん、こういうこと言うと、トノモトさんは何のこと? って顔すると思ったんです。読むと言ったら、コメントまでつけるの当たり前じゃんって。「読む」という行為は「書く」に至るまで完了しない、入力と出力は常にセットになっている。表現ってつくづく主体的能動的な行為なんだな、と。さすが表現ジャンキーだよ、トノモトさん。

  3. すごい。これはすごく響きました。
    誰も置いて行きはしない、という一言に慄然。

  4. @あまね/saku
    >すごい。

    いやいや、それほどでも。えへへ (もっと言って)。

    >これはすごく響きました。

    「これは」という限定付きながら、他の作品は響かないと言われているとしても、一回でも響いたと言われたら、それだけで生きていける。不純かもしれないけど。

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