海を見に行った陸地の終わりだった
文字の輪郭をボカす楽しみ方は、
旅から戻ってからで良いと思う。
全てが終わってから立ち上がる文字
納得の上で「外」に出された言葉を読み、
繋がっていく楽しさを感じるなかに
詩が見つかれば、今はそれでじゅうぶん。
「内」側から仏言に繋がっているのかな
海を見に行った
陸地の終わりだった
*
p.s.
情けは人の為ならずで外す言葉と
知らないママ情け容赦ない言葉は
見た目だけは同じ文字だとしてもね
月とスッポンほど違うというのに
此処にも
*
ツゥーショット
なんてね
苦虫を噛み潰した君と
コメント
20210425初稿改訂
海を見に行ったつもりでいたら、実は陸の終わりだったという、なるほど、その視点のずらしかたは、私、海に見惚れていて、気付きませんでした。その例えは、さまざまな場面に応用できそうですね。
4月に出来たポエムみたいなのをキャンパス文章として利用してみました。
三浦半島からの海の中央上に富士山がうっすら見えたので撮った写真。
神奈川沖の浮世絵みたいに世界的に有名な大きな波もなくて、とても穏やかで、
富士山も見えないですね。だまし絵みたいに思われたらすみません。
たかぼさんの視点ずらしからは、人生まだまだ捨てたものじゃないと元気をもらえそうです。
コメントありがとうございます。
散歩詩というか…、風景から詩の言葉を掬い上げていくのが、個人的に好きなんですね。そういう意味で、長谷川には、とても興味深いお作品でした。とくに前半のフレーズ、魅力的です。
海を見に行った/陸地の終わりだった
よいなあ。(^^)
タイトルにもしている「海を見に行った陸地の終わりだった」は、
言葉の通りの文字通りの、そのまま当たり前のことを呟いたのですが、
響きが好きで使ってみたい素材でしたので、作品みたいなログに
取り込むのが困難でしたが、なんとなく消化できたのでしょうか?
長谷川さん、良いと共鳴していただきありがとうございます。