Seaside Villa
Do you know the road by the sea?
I drove with the windows fully open
Though I couldn’t see through her lies
She was smiling so happily
The wind was blowing gently
Do you know the villa on the cape?
I stopped the car and walked around
Though I couldn’t see through her lies
She was walking seductively
The sun was shining dazzlingly
【 解説 】
映画「太陽がいっぱい」で海辺のチェアに横たわり至福の満足感に包まれながら太陽がいっぱいだと呟くアランドロン、その同じ瞬間に私たちは彼の破滅を見ている。破滅を知らない主人公と、それを知っている高次元の私たちという構造。この詩の中の私もまた彼女の嘘を知らない。知っているのは幸せで美しい彼女と眩しく輝く太陽だけなのだ。ただ読者だけが彼女が嘘をついていることを知っている。
コメント
太陽がいっぱい、いい映画でした。アラン・ドロン怖いくらいに美しかった。そして特に特にニノ・ロータの曲が甘く哀愁がありすばらしかった。
そしてこの詩は何度か読んでも、地中海の岬のビラにてスッとした金髪の美女に騙される(手玉に取られる)たかぼ先生の姿が浮かんでしまって・・・・失礼しました。
客観と主観の文学的トリックを考えるとっても興味深い解説詩となっている。もう解説詩といえばたかぼさんが第一人者なので、このような面白いのを書かれると嫉妬してしまうなぁ。
英詩の韻も気持ちいい。
映画でのアラン・ドロンは犯罪者なんだけど、ラストでどうしても「逃げてー」と叫んでしまうのはやはり彼の美しさによる幻惑。
思うつぼ。
>王殺しさん。あ、それ、いいなー、地中海の岬のビラで金髪美女に騙されてみたい!(^^)「解説詩」その言葉頂きます。いつもありがとうございます。
二連目を、自己流で訳してみました。間違っていたらごめんなさい。
岬のビラ(別荘)を知っているか?
私は車を止め辺りを歩いた
私は嘘の術が見えなかったけれど
彼女は魅惑的に歩いていた
太陽は目もくらむばかりに輝いていた
ニーノ・ロータの曲が、よみがえってまいります…。
>長谷川忍さん。訳の手間をおかけしました。see through で「見抜く、見破る」という意味になりますので、3行目は「私は彼女の嘘を見抜けなかったけれども」となります。彼女が何らかの嘘をついている。それを彼は知らない。どんな嘘なんだろうと、想像して頂ければ幸いです。シンプルに「実は彼女は彼のことを好きではなかった」とか、「実は彼女は重い病気を患っているが彼にそれを話していなかった」とか。
たかぼさん、ありがとうございました! see through。ここ、迷ったんです。でも、映画の展開を考慮すると、「見抜けなかったけれども」ですね。