画家(五)ゴッホ
カルバン派の父の信仰は息子を供物とする
焼かれる小羊のように
喉を裂かれて太陽の下に
あきらかな死として
それはちょうど一年前に死んだ
兄の存在を思い出させるのである
信仰の証明として息子を捧げる親というものが
本当にありえるのだろうか
太陽を信じるこころというものは
灼熱の光によって照らし出される存在証明である
そして太陽が絶対的正義としての信仰を
この地上に明確に示すその影には
犠牲としての供物が
必然的に要請されるのである
神の名に於いて
神の御前に差し出されるのである
それは人間のこころの弱さであり
そして信仰の決断する命の行為である
太陽がわたしを苦しめる
麦は刈り取られる
満ち溢れる光の中で
それは神の愛の確実に届けられることを証明している
息子をこの供犠の台の上に置くのだ
それは神への絶対的信頼のあらわれである
太陽の隠れた夜には
神は星と月の輝きとして
その行為を見るのだろう
死すべきは息子である
信仰のあかしとしての子羊である
描くことによってわたしは父の前にさしだされるのである
何よりもわたしは子羊であり
何よりもわたしは太陽を恐れているそして愛している
父は恐ろしく口を開けている
その愛する行為の開かれた口のあまりにひどく美しく
まるで太陽である
それは焼かれる供物の
信仰である。
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