一、二の散詩。冷え切った老廃物としての我が思考の塊の断片

浅瀬の小川で、筆ペンを水に晒し、まとまらない言葉が水に溶け、散っていくのを見るのが、好きだ。
流行り言葉は乱れ言葉ではなく、流れ言葉。ヒラヒラのスカートのように風に揺れ、時の流れの中で色気を放つ。
夜の闇の中で動物が獣の叫びをあげ、豪速球で吹く風と、それに異和を説く声も、ここでは聞こえない。
言葉はシャワーのように浴槽で悶えながら、四角く設定された人工空間の中に深く浅く、女の喘ぎ声のように木霊し、消えていく。
散歩でもしよう。朝の散歩は体にいいから。体を上下に揺らし、留まった電磁波を風に晒し、野に放ちて心を休めよう。散歩は散らして歩くと書く。まとまらない思考をまとめるでもなく、まとめる必要も大義も感じずに、ボウフラのように浮き沈み歩く日常。
愛は定まりて、行きて書く。恋は、始まりし、夢の途中。
処女幕を突き破りし、女子の誘惑と、透明に溶け消えていく我が欲望。風に晒され、水に流されて浮き、時に弾みし、日常を。
ララバイと水模様、サラバイと風模様。透明な思考を書き綴りし時は、時の流れのシュールと、意味の定まらぬリアルが、夜の闇の中で四角い羽毛の布団のように、我と我が身に覆い被さるのみである。
一、二の散詩。ホップステップジャンプ! ただ、無意味に頑張る。我と我が身とその無邪気と卒のなさが、人間らしくて、好きだ。
無意味と笑顔。意味と涙より、よほど良い。狭い人生に、幸あれ。ポールマッカートニーとウイングスの『ジェット』で、青空高くまで思考の羽根を羽ばたかせ、この狭い世界いっぱいにロケットを飛ばす。その高揚感と実験精神。言葉は際限なく流れ、調整の壊れたお喋りのように、バッハさえもまとめきれずに、乱れたピアノの音階のように、官能と悲しみの雄叫びをあげて唸り吠えるが、その狼の鳴き声を聞き、とどめる現代におけるベートーヴェンの楽譜が、手元には見当たらない。狂い切ったラジオ。真実の報道の出来ぬ役立たずのラジオが、くだらないおしゃべりと深夜の乱れた下ネタに興ずる時、ムンクの叫びの絵の主人公が『聞きたくない』と嘆きの声で耳を塞ぐのを私は鹿となり、牛となりて『モー』見届けた。
うんこ。思考の出口としての尻穴からの解放物。今、汚物汚ゲロと化した我が荒廃した老廃物を、爪先から頭まで日々、心頭滅却した証として、貴方に届けよう。今夜ペンと言う剣を持って点と線を繋ぎ、語ろう。愛の方舟を持って、夢の棺桶まで。歳月は罪、人の心に魔物を育てる。愛はない、夢もなく、それが現実。四角くまとめられたピエロ現実に、理不尽に歪められていく常識を受け入れていく人々の売女っぷりが怖い。カボチャパーティなどくだらねえ。この思考の羅列と、数学的淫らと境地の方が私には大切なんだ。
愛は、ウグイスホトギス。泣くよ、ウグイス平安京。囀りながら天を仰ぎ見るもの。それが、愛。このとめどない大宇宙の中で、ゆるゆるのゴム紐のように伸び縮みしながら伸縮運動を続ける破裂し、破綻したパーティが、大乱舞し、大散開し、入り乱れ、もみくちゃになり、狂い咲きしながら春の訪れを待つのを優雅な心持ちで見届ける。その朗らかで優美な音楽の日々が、私には大切なんだ。

投稿者

静岡県

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