通り過ぎるいくつかの事情
ドーナツショップは今日も混み合ってる
女子高生たちはさっきから
鏡に向かって入念にアイメイクをチェックしながら
誰が誰と付き合ってるかで盛り上がっていて
若い母親は 落ち着きのないわが子には目もくれず
さっきからずっとケータイをいじくってばかり
30代くらいのサラリーマン風の男性は
甘ったるいドーナツをかじりながら
ノートパソコンを忙しげに叩いてる
混み合う店内
バイトの女の子たちは 商業的スマイルを見せながらも
どこか疲れを隠しきれない
そして私はといえば 窓際の席に座って
アイスコーヒーを紙ストローでかき混ぜながら
ただなにげなく ぼんやりと窓の外を眺めていた
平日だっていうのに 街は人であふれていて
誰もかれもどこを目指しているのか
足早に先を急ぐ人たちばかりだ
そんなに急いでどこへ行くのだろう
尋ねてみたい気もしたが
そんなことは意味のないことだと
すぐに視線をそらした
絶え間なく流れる人ごみを避けるように
ベンチに寝そべっているあの老人
ボロボロになった上着を
肌掛けがわりにかけて
眠るともなしに目を瞑っている
私はなんだかその老人が気になってしまい
しばらくずっと 目が離せないで眺め続けた
あの老人は今頃 何を思っているのだろう
会いたい誰かを思っていたりするのだろうか
帰りたいと思ったりはしないのだろうか
帰れる場所などとうに失くしてしまっているのだろうか
何もかも捨てて 何もかもから解放されたくて
あの老人はいま あのベンチで横たわっているのだろうか
たとえば春
満開の花びらが ヒラヒラと風に舞い落ちるとき
夏 容赦ない灼熱の太陽に ジリジリと肌を焼かれるとき
秋の夜長 真ん丸いお月様にじっと見つめられるとき
冬 吹きすさぶ冷たい木枯らしに身を晒されるとき
生まれ育った故郷のことを ふいに思い出したりするだろうか
まだほんの小さい子どもだった頃 無邪気に遊びまわっていた
あの頃の風景が 瞼の裏側に映し出されていたりするだろうか
なんでそんなこと 思ったんだろう
そんなこと考えたって 何の意味もないのに
あの老人はずっとあのベンチで眠っているだろうし
明日もあさっても そうしているだろうし
私だって いつまでもここにいるわけじゃない
行き交う人々は 誰もあの老人を避けるように
足早に通り過ぎていくけれど
この人たちはきっと ちゃんと帰る場所がある人たちだ
待っていてくれる人がちゃんとちゃんとある人たちだ
あの老人に 帰れる場所はあるだろうか
あの老人を 待っていてくれる人はあるだろうか
私には帰れる自分の部屋はある
けれど 私を待っていてくれる人はどこにもいない
私もたぶん あの老人と一緒だ
心の拠り所をずっとずっと探し続けて
彷徨い続けている
硬く冷たいあのベンチは
老人をやさしく抱きしめたりは
きっとしないだろう
あの老人がどうしていま そういう生活をしているのか
若い頃から自堕落に生きて 酒タバコギャンブル
女子どもを不幸にして 自分さえも不幸にして
家族からも社会からも追い出されるみたいにして
ここにたどりついてしまったのか
実はエリート街道まっしぐらの
大手企業のお偉いさんかなんかだったのに
ある日すべての俗世間に嫌気がさして
なにもかも捨て去って 自ら進んでそんな生活に入ったのか
そんなことは誰にも解らない
もちろんあの老人がしあわせなのか不幸なのか
たとえ誰も待っちゃいなくても 帰れる場所がある私に
そんなことを決めつける権利もありはしない
生きれば生きる分だけ重くなっていくものたち
誰だって好き好んでそんな重たい荷物を背負い込んでるわけじゃない
気づいたらいつの間に背負い込まされてて
降ろすことも許されず
だから仕方なく 抱え込んでるだけの話じゃないか
誰だって幸福になりたいのは同じじゃないか
いつの間にか選んだり選ばされたりしてきた道が
いまの自分にたどり着いているだけの話で
それが間違いなのか正解なのかは
誰にも解らないし誰にも決められるわけがない
あの老人が たとえば病気になったりしたら
あのまま息絶えてしまったりしたら
一体 どうなるというのだろう
路上生活者ひとり死んだところで
一滴の涙さえこぼれおちたりはしないだろうし
世界がグラッと揺らぐこともないだろう
こんな社会の上で それでも私は生きているのだと
考えたらたまらなくなってしまって
胸やけしそうな思いを必死でこらえながら
ただひたすら
薄くなったコーヒーをすすったんだ
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