キーワードはX
きわどい経験は何もなかったのだろうか
日本中から選択されて入るニュースは
いつも表層を滑っている毎日のなか
私と貴方は歳だけとってしまった のか
すでにSNSで得る判断後の多々の情報 は
端末デバイスとなった個人の脳に
純粋経験を焼き付けることもなく
ラプソディの歌詞となっていくの だけど
理由は出せるものが、なにもないから
自分から魅力ある発信を出せないから
現代社会で個々人が生きてきた脆弱性 を
意識してない局面から知らしめてくれた
何歳になっても生まれ変われる
アラーのかみもアンラーニング
リカレント教育でリスキリング
コメント
TVや新聞も編集者の意図が反映されてしまうのでざっくりいえばSNSとたいして変わらないのかもしれません。ただSNSでは個人の主観がさらに短縮されて発信されるので従来からのメディアよりもさらに主観的になっています。その情報を私たちは取捨選択できるので結局自分に都合のよい意見ばかり集めてしまう危険性があります。そのリスクを回避するため私はわざと自分の嫌いな意見の情報も入って来るようにしていますがそれは苦痛であります。誰しも苦痛は快しとしませんので自分の意見に近い投稿しか見なくなるのは想像にかたくないです。そうすると自分の主観が肯定され果てしなく強化され続けます。その挙句が狂信です。こういったことは何についても言えることであり例えばこの詩人会にしても、自分の好みの詩にしか目を通さずいいねやコメントも残さなくなります。そうして詩を書くという狭い個人的な世界から、このサイトのような開かれた場所に入っても、結局他者とのつながりを広めることはなく、また狭い世界に閉じこもっていくのでしょう。
@たかぼ さん
読んでいただきコメントもいただきありがとうございます。
いつまで遡れば良いのかわからなくなっていますが情報は
閉ざされているのが当たり前の昔に想いを巡らせてみれば
時間は貴重で能動的に考えることも多々あったのだろうと
思います。最近は情報を取りにググることよりも更に勝手に
その人の好みやら購買心を煽るみたいに送られてくるものを
みているだけで使える時間が過ぎてしまう日々なので
ますます、私みたいな人種は受け身になってしまうのかも
Z世代の頭のなかは情報をどのように捉えているのか と
解らない、不思議な時代にはいってしまったのでしょう。