引きずれ未来
ノストラダムスは自らの死を予言したが
彼が人生に満足していたかどうかまでは語られていない
The future is the rhetoric of the past
それは僕が童貞を喪失した七月のことで
開け放たれた窓の外をぼんやり眺めると
中天の太陽がいつもより苛烈に燃えていた
首の回らない扇風機が軋んで止まり
女は壁に飛散した精液を無心に舐めとっている
夏の始まりと少年の終わり は
同時に世界に蔓延したのだった
海の向こうで始まった戦争によって
流れ降ってきた灰が地表をモノクロに染めて
街には無声映画のような静けさが広がっている
僕も女も言葉を奪われてしまって
神的な空気が部屋の中に充満するまで
ひたすら身体を擦り合わせるしかなかった
なんてことない、というのが僕の感想だ
夢想した未来は体験すれば平凡なこと
懐かしむ過去は忘却すれば平凡なこと
彗星の欠片が恐怖と共に落ちてくるが
テレビをつけても画面は何も投影せずに
日常と呼ばれる絶望を繰り返すだけ
[TONOMOTOSHO Rebirth Project No.051: Title by 緋妃虜]
コメント
ノストラダムスによって予言された1999年7の月に降りてくるべき恐怖の大王は、喪失した童貞、予定のずれた湾岸戦争または同時多発テロ、そして極めつけは絶望的なまでの平凡であった。個人的に成就された予言はこのようにして世界とつながる。そのように一種のセカイ系の詩と考えると軽んじているように聞こえるかもしれないが決してそんなことはなく、とても趣のある詩である。
なんてことはないという感想は初体験のことか世紀末の事か。
もちろん両方だ。どちらも過ぎてしまえばなんてことはない日常が続いていく。
たぶんノストラダムスは童貞を捨ててから予言が外れ始めたんだろう。
”僕”も清廉さを失った7月に神聖な世界から堕ちてしまったのかもしれない。
なにせ処女や童貞でなければ未来を告げることなどできないはずだし、なんならある年齢まで童貞を頑なに守れば魔法も使えるようになれるそうだから。
とはいえ今日のところまでは500万年前に誕生した人類がいまだ健在なのは、なんてことはないを繰り返してきた、そういうことなのだ。
絶望はこの世が終わることではなかった。
ちょっと匂ってきそうな詩でした。
現代風な感覚だと、未来は引き寄せるたぐいのはずで、
かんたんにいうと、ギリシャ入ってるってイツテルと。
感性としては、予言という文字が、ざっくりしてて、昭和って感じかな。
はたして、平成生まれの方に、このニュアンスを伝えられるのか。
最終連で、投げやりに絶望感を出すことで、過去と決別して、タイトルに
たどり着いた。こういうバトンの渡し方は、トノモトショウ流投げ渡しというのか。