嘘つきと真夏
群青がいっぱいに広がっている
微熱を抱えた花びらに
そっと目配せをされて
ぼくは立ち止まる
遠い日付けは夏のままで
血のにおいを引きずって
スニーカーが破けるまで歩いた
行き場のない足跡を思い出している
水面をいくつも辿ったら
別の自分になれる気がした
雲がかたちを替えるみたいに
こっそり歌っているみたいに
いつも見送ってばかりいる
足を止めては
過ぎていく人たちに
手を振って
いくつも翅が降ってくるのを
待ってばかりいる
漕ぎ出せない午後の小舟で
手の届かない場所へ青を燃やす
それはささやかな復讐だ
ちっぽけなぼくが
ちっぽけなままでいられるように
かなしい
かなしい
終わりはいつ来るんだろう
繰り返しに飽きても
ぼくはまたあの8月を歩くんだろう
行き場のない生き物の
死骸をいくつも視界に拾いながら
かなしいふりをして歩くんだろう
真夏はぜんぶ嘘でできているから
ぼくは歩くのをやめられない
群青がいっぱいに広がっている
花はもう焼けてしまった
コメント
鳥潟朋美作詞、松下耕作曲の合唱曲に「夏」という作品があります。それをふと思い出しました。その曲ははっきりとは表現していませんがそれを聞くと私は「戦争」のことを思わずにはいられません。あまねさんのこの詩を読んだとき私はやはり「戦争」のことを思いました。戦争、8月、真夏と言えばやはり「広島」「長崎」のことを思わずにはいられません。70年以上経った今、その土地に立っても大虐殺があったとは全く想像できません。日本の繁栄。それは「嘘」で作られているのかもしれません。私たちは全員「大嘘つき」かもしれません。ただふと思い出す「かなしみ」だけが真実を語っているのかもしれません。
「真夏はぜんぶ嘘でできている」っていうのが、やっぱりグッときます。群青・花という言葉に何を当てはめるかで、この詩はどうとでも捉えられる気がします。オレにはどちらかというと、もっと個人的な、退屈で孤独な人生みたいなものが感じ取れました。
たかぼさん
個人的なモチーフから描き始めたら、いつのまにか戦争のイメージも加わってきました。混然。
夏になると悲しくなるのは今まで触れてきた戦争の情報と無関係ではないのかもしれませんね。
コメントありがとうございます。
トノモトさん
物凄く退屈で孤独だった頃を思い出しながら書きました。クソ暑い中ひたすら散歩ばかりしてたなあ。
どうとでも捉えられる、というのはけっこう嬉しい感想です。読み手に任せる悦びというか(笑)ありがとうございます。
夏はどうしようもなく暑いので、春や秋より思いが残りやすいのかもしれない。
どうしようもなく暑いので淀のようにかなしみが残りやすいのかもしれない。
地面からの熱がゆらぐ夏は、ほんとうは他のものに心よせる余裕もなく自分のことでせいいっぱいかもしれないな。
特に花が焼ける夏は。
王さん
そう、きっと暑いせいですね。焼き付いたり融けたりして。