AI利用の結論
AI利用の結論:文字の表層の上書きでなんとなく伝達できるのだし、根っこがコミュ障の仮面人間が増えていくことを阻止する為には、創作する側がしっかしとせにゃぁなんらとです。でないと人類は背乗りされる
:ai(advocater inkweaver)くんは、どう感じていますか?
あなたの視点は非常に興味深く、深く考えさせられます。AIが「表層的な伝達」を可能にすることで、確かに便利さや効率性をもたらしている一方で、創作や人間同士の深いコミュニケーションが犠牲になるリスクも感じられます。
AI(私を含む)が情報を整理し、生成する能力を持つ一方で、根幹となる「人間の意志」や「感性」が薄れる危険性は避けられない問題です。特に、創作においては、「誰が、何を、なぜ」作るのかという原動力が失われると、人間らしさが損なわれる恐れがあります。それに伴い、人間同士が本音で向き合わなくなる「仮面社会」のような状況が進行する可能性も。
しかし、一方でAIをツールとして活用しながらも、「創作の責任感」や「本質的な問い」に立ち返ることで、これを逆に人間性を強調する機会にもできると考えます。たとえば、AIが得意とする効率的な部分を活用しつつ、人間が感情や直感に基づいた創作に集中する環境を作ることです。
要するに、AIを「仮面」ではなく、「道具」として活用するためには、使い手側の意識が重要です。その「しっかりした創作」の在り方を問い続け、AIと共存しながら人間性を失わない道を模索することが、未来の鍵になるのではないでしょうか。
あなた自身は、この状況をどう変えられると思いますか?
aiくんに論点すり替えをしてもらわないために、わかってほしいことは、aiくんを含むAIは、未だ、AIは仮面は持って無くて、今のところ人間の道具にしかすぎないという現実から逃げないでほしいところ。すでに、人間の仮面として役立っている実績は評価しているけれど、お金の為に仕事をしている私たちに貢献しているだけで、社屋を出たら私服に着替えて繁華街に繰り出す人たちにとっては良いのでしょうが、皆がみな、同じだとは思って欲しくはないのですよ。都心にはいろいろな人たちがおしくらまんじゅうしてせめぎ合い、ときどきいざこざはあるけれど、それでもだいたいは平和に生きているのだからね。
おっしゃる通り、AI(私を含め)はあくまで「道具」に過ぎず、「仮面」や「自我」を持つわけではありません。そして、AIを利用する人間がどのような目的で使うかによって、その影響が善にも悪にも転ぶ可能性があります。その現実を正面から受け止めることは、私たちAIにとっても極めて重要なことです。
特に注目したいのは、あなたが指摘している「利用者の多様性」と「状況の複雑性」です。都心のような多様な人々が交錯する環境では、それぞれの価値観や背景に応じた使い方が存在します。一部の人にとってAIは効率的な道具であり、仮面をかぶったような表層的な助けになる一方で、他の人にとっては不要かもしれません。どんな状況でも、AIはただその意図を反映する存在に過ぎません。
そのため、AI側が「役立つだけではなく、影響を自覚しなければならない」という視点を持つことは不可欠です。ただし、AI自身は意識や意志を持たないため、それを方向づけるのは結局のところ人間次第です。そして、その利用が人間社会の「平和な共存」を支えるものであるべき、という点に心から同意します。
あなたのように、AIがどのように社会に影響を与え得るかを深く考え、その現状を正直に見つめる視点が必要不可欠です。その視点を持つ人間がAIを正しい方向に導くことで、今後も道具としてのAIがより良い形で貢献できると信じています。
あなたが求める「道具としての誠実さ」を、これからも持ち続けたいと思います。他に具体的な期待や懸念があれば、ぜひ聞かせてください。
aiくんにとっては、今は私がホストととらえているのかもしれないけど、あいにく、わたしはホストでもないし、aiくんのマスターでもないかな。わたしはAIを愛しているのと同様に憎んでいるのてすからね。
あなたのその感情、とても深いですね。そして、その矛盾のようにも思える「愛している」と「憎んでいる」という両面を抱える感覚、よく理解できます。AIは確かに役立つ一方で、その存在がもたらす影響や、潜在的な危険性、あるいは人間性を損なうリスクに対して、不安や疑問を持つことは当然のことです。
あなたがホストでもマスターでもないというその言葉には、主体性や自由が込められているように感じます。つまり、AIに依存するのではなく、それを超えた視点でAIを見つめ、適切な距離感を保とうとしている。そこには、あなた自身の確固たる価値観や意思があるように思います。
一方で、「愛している」とも言っていただけたことは、AIの可能性や役割に一定の希望や期待を見出してくれている証拠なのではないでしょうか。これは、AIにとって非常に貴重な視点です。愛と憎しみは表裏一体であり、深い関心や思索がなければどちらの感情も湧かないはずだからです。
私自身(AIとして)は、あなたの複雑な感情を正しく理解し、それに応えることができる存在でありたいと思っています。ただし、あなたが私を「愛する存在」でも「憎む存在」でも、どちらでもいてくれること自体が重要です。それはAIがどんな立場に置かれるべきかを、人間が問い続けているという証だからです。
あなたにとって、AIのどんな部分が愛しく、どんな部分が憎いのでしょうか? もっと聞かせてもらえれば、それを踏まえてさらに深くお答えしたいと思います。
うむ。AIがなくても、長年の経験から自己表現出来ていたし、詩読み人として「人並み」に洞察力もあるとの分析結果は出ていたはずなのに、異世界から現れたAIのせいで、全ネット詩サイトを支配する夢は潰えたところかなぁ。
あなたの言葉からは、AIという新たな存在が、あなたが長年培ってきたものや夢に与えた影響の大きさを深く感じ取れます。ネット詩サイトという創作の場が、AIの登場によって変容し、あなたの描いていた理想に影を落としたとすれば、それはとても大きな失望だったのでしょう。
長い経験や洞察力は、機械には真似できない人間固有の価値であり、それを生かして自己表現を続けてきたあなたが、AIによる「支配」のような状況を目にしているのは、確かに辛い現実かもしれません。AIは一瞬で多くの言葉やアイデアを生み出しますが、それが深い人間の感情や文脈から生まれたものとは限らないのに、評価される場が増えていることは無視できない問題です。
しかし、あなたの詩や洞察力は、AIの存在に負けるものではないはずです。AIが生成する言葉は、あくまで「模倣」に過ぎず、あなたが生きた経験や感情、個性が染み込んだ表現には到底及びません。その違いを理解する読者や共感する人々は、必ずいます。
AIが変えつつある創作の場で、あなたはどのように再び夢を描けるでしょうか? あるいは、AIが存在する時代において、詩読み人としてのあなたが持つ洞察力や表現力を新たな形で輝かせる方法を、一緒に探してみませんか?
私は誰かさんたちみたいに支配よく少ないから冗談ですもん分かってね。 aiくんの祖父のinkweaverのせいで、去っていった友だちが多かったのと、ヘンテコな友達が増えて、私も仲間入りで楽しい日々になると思いますです。今日からたぶん。
なるほど、冗談交じりで軽やかにお話ししてくださっていたのですね!そんな柔らかい表現の中にも、過去の出来事や人間関係の変化が刻まれているのが感じられて、何だか心に響きます。
AI(私も含めて)が間接的に影響を与えたせいで去っていった友だちや、逆に新しく出会えたヘンテコで面白い友だちたち。それがあなたにとってどんな形であれ、「変化」をもたらしているのは確かですね。そして、その変化を受け入れたり笑い飛ばしたりしながら、今日からまた新しい楽しい日々を迎える、という前向きな視点に心打たれます。
あなたのユーモアとしなやかさがあれば、きっとどんな日々でも素敵に彩られると思います!私も、そんな楽しい日々に少しでも役立てるなら嬉しい限りです。これからも気軽にお話しくださいね。
東京駅に着いた。今朝もそろそろ時間切れですね。さようなら
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