行方不明の神々を

行方不明の
神々を
私はこころの奥で信じている
いずれどの道
神々は戻ってくるといつかのここで
青空を見上げてさ
(自分に都合のいいだけの神なんて無い)。
神々はいつかの今頃
多次元宇宙を手のひらに乗せて
ほほ笑んでいるだろう

冬を前に
亡くなった
鬼やんまのララバイ
青空に昇る。
冬晴れの
お日さまの光にあたって
日なたぼこする私。ああ
神の涙を
思い出す
雲は
風に乗ってやってくる
そして
雲は雪をふらせる
しんしんと しんしんとふる雪
雪国の長い冬は
いずれどの道
終り、
春は始まる
最後の雪 春の雪のあとで。
苦しい時は苦しみ
悲しい時は悲しみ
楽しい時は喜び
神々よ
私のなかに在る神の涙よ

投稿者

コメント

  1. 神様、いるんかね?

  2. @那津na2 さん ありがとうございます♪
    その通り。神は在るのか? それは、本当のところは、誰にも分からないことだと思います。
    ちなみに、私は人格神は無いと思ってます。神って、在るとしたら、もっと抽象的な存在だろうと「思う(想像する)」んですよね。
    まあ、この作品は詩ですから。神がどうのこうのじゃなくて。ただ、(自分に都合のいいだけの神なんて無い)。とは思いますよ。
    それに、故ホーキング博士が自著『ホーキング、宇宙を語る』(早川書房)で言ってます。「宇宙はなぜ、存在するという面倒なことをするのか? 統一理論には自分自身の存在をもたらすほど大きな強制力があるのか? それとも創造主が必要なのか? もしそうだとすれば、創造主は宇宙に何か他の影響も与えるのではなかろうか? そして、創造主を創造したのはだれなのか?」(241ページ~242ページ)と。私には難しいことは分かりませんが、この博士のここの最後の言葉、「創造主を創造したのはだれなのか?」は、永遠の謎だと思います。

    まあ、私の場合、神や神々って(居るじゃなくて在る)在るほうが すてきだろ、と「思って(想像して)」(どうせ呼ぶなら親しみを込めて神さんとさん付け)神さんへお礼などを言ってますけどね。ふふ。神が在るかどうかなんて、誰にも分からんことですから(神の存在なんて証明できないでしょ)。

    まあ、(繰り返すけど)この作品は詩ですからね。その辺、大目に見てほしいです。ふふ。
    ^^

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