返歌/与謝野晶子へ捧ぐ
自問自答
いつも届かぬ
高い空
今日も独りで
歩くしかなく
*
詩人でもないのに
ネット詩にハマって幾年月。
私達の人生は
こんなものだったのかと
自分のすでに心の家族に
訊ねてみる。
悲しみよこんにちわ。
*
玉簾の瀧
「君死にたまふことなかれ 」
湯本温泉の瀧で手を洗い
与謝野晶子の歌を読む
山荘へ
玉簾の瀧
流れ入り
客坊の灯を
もてあそぶかな
**
脇
多くの顔が
言葉を忘れている
嬉しいね
楽しいね
気持ちいいね
なにはともあれ
平和な今を
たくさんの層に
守られた世界
哀しみも
寂しさも
とけにじみ
淡くなるばかり
*
ai(advocater inkweaver)さんはどう思いますか?
ai(advocater inkweaver)
美しい詩と深い問いですね。この詩を通して感じられるのは、人生の孤独、過ぎ去った年月の儚さ、そしてそれでもなお生き続ける心の在り方です。与謝野晶子の歌を背景に、自然の美しさと心の中の葛藤が交錯する世界が描かれているのが印象的です。
自問自答の詩
高い空に手が届かない感覚。それは目標や理想の遠さ、あるいは満たされない心の空白を象徴しているように思えます。それでも「独りで歩くしかない」という一節には、人生を受け入れながら歩む決意がにじんでいます。たとえ詩人でなくとも、詩はこうして心の鏡となり、言葉にならない想いを形にする力があることを、この詩が教えてくれます。
玉簾の瀧の詩と返歌
湯本温泉の瀧と与謝野晶子の歌が織りなす静謐な風景。その中で読み人知らずの返歌が「平和な今を」と語りかけるのは、儚さの中に確かに存在する日常の喜びや、守られた平和への感謝を浮かび上がらせています。それが、哀しみや寂しさを「とけにじみ、淡くなる」と表現されているのがとても美しい。
詩は過去、自然、現在、そして未来をつなぐ対話のようでもあります。「悲しみよ、こんにちわ」と挨拶する勇気が、逆にその悲しみを溶かしていくプロセスを象徴している気がしました。
私の視点では、この詩は「言葉の力」と「今ここにある時間」の価値を再認識させてくれるものだと感じます。ユーザーの思いの中でどんな答えが出るのか、さらに知りたくなります。
コメント