流:引用合体詩
涙なんてすぐに流せるんだよ。
死んでしまった愛犬を思って、
駄目になってしまった愛人との関係を思い出して、
亡くなった愛する人を想って、
そして涙を流して、
笑いながら飯も食って、
日日はつづき、
時時それらを振り返り寂しくなりながら、
これから自分が誰を愛するのかを考える。
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女を信じるからよと
その女は言つた
ぼくは信じたわけではなかつたが
女は信じてねと云つたのだ
見廻はせば なるほど
女は多すぎる
だが女よ
信じて悪かつた女だつたとは
あんたはとその女は云ふ
あんたは女に甘いのよと
(「矢車草」淵上毛氈『日本現代詩大系第十巻』p.92 1951年 河出書房)
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じつに卑劣な和議を結ばせることになってしまった……。
だがどうして、おれはこの「利益」氏をののしるのだろう?
それはただ、おれがそいつに甘い言葉をかけられたことがないためさ。
それは、彼の美しい天使(エインジェル)がおれの手の平に挨拶をするとき、
おれが指を固くにぎりしめて、それを拒否する力をもっているのじゃなくて、
まだ誘惑されたことがないおれの手が、
貧乏人の乞食よろしく、金持ちをののしっているからなんだ。
(「ジョン王」より抜粋 シェイクスピア/北川悌二訳『シェイクスピア全集4 史劇Ⅰ』p.26 1980年 筑摩書房)
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実感したいです 喉元過ぎればほら酸いも甘いもどっちもおいしいと
これが人生 私の人生 鱈腹味わいたい 誰かを愛したい 私の自由
この人生は夢だらけ
(「人生は夢だらけ」より抜粋 椎名林檎)
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何にも満足はしやしないのだ。自分が無になって
安心するまでは。あ、音楽だな?
何だ! 間をはずすな! 間がはずれたり、調和がとれなかったりすると、
甘い音楽も何とすっぱくなってしまうものか!
(「リチャード二世」より抜粋 シェイクスピア/菅泰男訳『シェイクスピア全集4 史劇Ⅰ』p.129 1980年 筑摩書房)
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花は実だから。草に落ちた花は、
冬のための甘いジャムだから。
それを悲しんでいるのは、はてしない、きみの
母性。
(「若木」より抜粋 ウンベルト・サバ/須賀敦子訳『ウンベルト・サバ詩集』p.14 2005年 みすず書房)
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「水底に連れもどされはしましたが、私は魂をなくしてはいません。だから泣くことができるのです。私が流すのは追憶の甘い涙。叔父さまには決しておわかりにはならぬでしょうけれど」
(『UNDINE』より抜粋 M・フーケ―/岸田理生訳 新書館)
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女がひとり
頬杖をついて
慣れない煙草をぷかぷかふかし
油断すればぽたぽた垂れる涙を
水道栓のように きっちり締め
男を許すべきか 怒るべきかについて
思いをめぐらせている
庭のばらも焼林檎も整理箪笥も灰皿も
今朝はみんなばらばらで糸のきれた頸飾りのようだ
噴火して 裁いたあとというものは
山姥のようにそくそくと寂しいので
今度もまたたぶん許してしまうことになるのだろう
自分の傷あとにはまやかしの薬を
ふんだんに塗って
これは断じて経済の問題なんかじゃない
女たちは長く長く許してきた
あまりに長く許してきたので
どこの国の女たちも鉛の兵隊しか
生めなくなったのではないか?
このあたりでひとつ
男の鼻っぱしらをボイーンと殴り
アマゾンの焚火でも囲むべきではないか?
女のひとのやさしさは
長く世界の潤滑油であったけれど
それがなにを生んできたというのだろう?
女がひとり
頬杖をついて
慣れない煙草をぷかぷかふかし
ちっぽけな自分の巣と
蜂の巣をつついたような世界の間を
行ったり来たりしながら
怒るときと許すときのタイミングが
うまく計れないことについて
まったく途方にくれていた
それを教えてくれるのは
物わかりのいい伯母様でも
深遠な本でも
黴の生えた歴史でもない
たったひとつわかっているのは
自分でそれを発見しなければならない
ということだった
(「怒るときと許すとき」茨木のり子)
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「許す」と言ってください。あわれと思う心が言い方をお教えするはず。
短い言葉です。でも、短いよりは甘い言葉。
(「リチャード二世」より抜粋 シェイクスピア/菅泰男訳『シェイクスピア全集4 史劇Ⅰ』p.127 1980年 筑摩書房)
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ほかの壺なら酒をいれる 油をいれる
その周壁がえがく うつろの腹のなかに
けれども私 もっと小型で 一ばん華奢な私は
ちがった需要のための あふれ落ちる涙のための壺なのだ。
酒ならば 壺のなかで 豊醇にもなろう 油ならば澄みもしよう
けれども涙はどのようになる? 涙は私を重くした
涙は私を盲目にして 曲った腹のあたりを光らせた
ついに私を脆くして ついに私を空にした
(「涙の壺」ライナー・マリア・リルケ/富士川英郎訳『世界詩人全集13リルケ詩集』p.266 1972年 新潮社)
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恋人の現在のありさまと未来とのあいだには
いわば、一種の反感が存在するようだ。
正直だともいえぬ甘い言葉でつつまれているうちに
おそまきながら、ほんとうのことが訪れてくる
さて、そのときは、絶望するほかに何ができようか。
その対照において、同じものでも名が変ってくる
たとえば、情熱は、恋人の場合はかがやかしく
夫の場合は、妻に惚(のろ)いのだといわれてしまう。
(「愛の幻滅」より抜粋 ジョージ・ゴードン・バイロン/阿部知二訳『バイロン詩集』小沢書店)
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満腹の者は蜂の巣をも踏み潰すが、
飢えている者には、どんな苦いものも甘い。
(『旧約聖書Ⅳ』箴言より抜粋 勝村弘也訳 p.522 2005年 岩波書店)
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友達と話しして、
話がはずんで来て、
二人の心が、
ぴつたり、ぴつたり、あつて、
自づと涙ぐむ時、
人は何者かにふれるのだ、
何者かに。
(「友達の喜び」武者小路実篤『武者小路実篤詩集』p.93 1999年 角川文庫)
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君は知つてゐるか
全力で働いて頭の疲れたあとで飯を食ふ喜びを
赤坊が乳を呑む時、涙ぐむやうに
冷たい飯を頬張ると
餘りのうまさに自ら笑ひが頬を崩し
眼に涙が浮ぶのを知つてゐるか
うまいものを食ふ喜びを知つてゐるか
全身で働いたあとで飯を食ふ喜び
自分は心から感謝する。
(「飯」千家元麿『千家元理詩集』p.34 1984年 岩波書店)
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「またひとり生まれたね
「またひとり生まれたね
「にぎやかになるね
「泣き声がひびいているね
またひとり死んだね」
またひとり死んだね」
さみしくなるね」
涙がながれていくね」
「またひとり生まれたね
「またひとり生まれたね
「にぎやかなになるね
「泣いたり笑ったりがふえるね
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血潮と涙のながれる場所へ向って
長くてつらい道が発する
とある平穏な村に暮して
ぼくらは純粋だ
夜はあたたかく静かである
そしてぼくらは 愛する女たちに対して
あの大切な誠実さを守るのだ
とりわけ 「生きる希望」というものを
(「誠実」ポール・エリュアール/佐藤巌訳『エリュアール詩集』p.10 1975年 旺文社文庫)
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圧倒的な感情の波でありながら、涙がでてこない幸福感に気がついてびっくりした。
(『異星の客』R・A・ハインライン/井上一夫訳p.771 1972年 創元推理文庫)
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雨
aめ
ああ、目が降っている
涙
なみだ
大きな波に襲われる
悲しい?
かな思惟?
脳が酸素を求めただけ
欠伸
aくび
頭部はなくて、生の首だけならどうだろう?
首の皮
くびの川
たくさんの首が流れている
a目が降り、字面から沁みだし、首となって、膿へ流れる
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画はPixabayのDuy Anh Phan
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