温かくも、冷たくもない
雑踏に身を任せることが
少なくなった
時々人混みに紛れても
緊張している
どこかで醒めている。
*
駅前の大きな映像画面に
キャスターの男女が
マスク姿で
時事問題を淡々と伝えている
その様子を
スマホの動画で撮った
地下鉄に乗り換え
車窓に映る自分の姿と
動画を
交互に見比べた。
*
zoomで
詩仲間と合評会を行う
画面越しに評を述べ合う
声がハウリングし
奇妙な金属音が聞こえてくる
(叫び声のようだ)
一度画面から退出
再び入り直そうとして
不安になった
キーボードから手を離した。
*
知人から
LINEメールが届く
こちらが返信を控えても
構うことなく
自分のことばかり話す
ブロックしたら
そのことを
自らのブログで罵っていた
苦笑い
そのブログにイイネを付けた。
*
雑踏に身を任せることが
少なくなった。
オンライン
コロナ禍
ネット弁慶
緊急事態宣言。
パソコンの画面に
直に指を触れてみる
温かくも、冷たくもない
その画面に向かって
詩の言葉を綴っている
生身、という言葉を打ったら
誤変換した
それを訂正し忘れたまま
日々は幾重にも
上書き保存されていく。
コメント
令和における現代詩と思います。 生身、をいかに感じられるかは、僕の日々の課題でもあります。
服部剛さん
コロナ禍になって以後、社会のオンライン化が急激に進み、私自身とまどっているところがあります。言葉と身体性について、あらためて考えています。
ニューノーマルという言葉が巷でやたら目に入る。でも新しい生活様式なんて僕が生まれていままで毎日そうだ。
日々ニューノーマル。
ふと気になるのは、やっぱり新しい生活様式ではなく人間の事だ。
雑踏、キャスター、人集の中の軽い違和感、自分事ばかりの人、それは新しい話でない。
しかしふと気が付く。
新しい仕組みに昔からある感覚がまたあぶりだされる。それがまた言葉となる。
実は万葉以前から変わらぬ人の営み。この作品を読んでそんなことを思いました。
いつもノーマル。
王殺しさん
ニューノーマル。…たしかに、コロナ禍以後は、ニューノーマルですね。とまどう所以です。でも、人間の「本質」というのは、変わらないのだなあ。時事は、日々、めまぐるしく移っても、人間は、結局同じ。そこをきちんとおさえておけば、生きることが、ほんの少し楽になるかもしれません。
万葉の昔に、ネットがあっても、たぶん、人は同じことしています。(笑)
インターネットのディスコミュニケーション性ってのは、黎明期から気付いている人は気付いていたのかもしれません。肉体にフィードバックしない言葉達をどう扱い、どう取り込むか、ってのは強く意識しておきたいものです。
トノモトショウさん
ネットでのコミュニケーションが主流となり、コロナ禍でそれがさらに加速しました。SNSなどでも、とくに言葉の選び方には慎重になっています。あらためて、言葉というものを意識するようになりました。大事なことだと思います。
ただ事実を描写しているようでありながら実は伏線があったり寂しげなユーモアも忍ばせた、大人だから描ける詩だなあと感嘆しました。
言葉のデザイン次第で温度だって伝わると私は信じています。
たちばなまこと/mikaさん
昨年から続く、コロナ禍社会での個人的な日常を、ちょっと振り返って詩にしてみました。オンラインはたしかに便利です。でも、やはり直接皆さんとお会いしたい。反面、SNS等があったからこそ、コロナ禍でも皆さんとの交流ができたのだなあ、と思っています。