性癖
苦さに
馴らされてしまった。
私の首筋のあたりに
棲みついてしまって
そのまま
離れない
ずっと昔から。
でもなぜだか
昨夜の夢は生温かく
郷愁を誘う
感触を確かめる
手触りを。
*
癖の裏側にある
余白を
覗こうと首を傾げたが
びくともしない
もう身体の一部になってしまった。
私は、私
顔も、声も、情景も、嫉妬も、憎悪も
みんな
わたし。
自分の癖を
信じてみたことがあるか
吞み込んでみたことがあるか
首筋でも
指先でも
性器でも
脳裡でもよい
そのぬめりを
試してみたことがあるか
諦めてみたことがあるか。
*
癖のある苦さに
馴らされてしまった。
もう自分の一部として
恥じらうしかない
赦すしかない。
コメント
何やらとても奥深いものを感じます。そしてその奥深いものと向き合い受容し自分として存在するようなイメージが強くなりました。首筋にキスマークでも付けられたのでしょうか、なんて。
@あぶくも
あぶくもさん、性癖、というより、フェチといったほうがわかりやすいかもしれません。人にはいえないフェチをいろいろ持っています。それをテーマに書いてみたかったのです。
エロい詩なのかなーと一読して、もう一度読んだら人間の宿命みたいなものを感じて、浅薄な考えの自分を恥じました。が、それも自分の性癖なのかと受け入れました。
@トノモトショウ
トノモトさん、宿命、というのはよくわかります。もう、受け入れるしかない。いつの間にか治まった癖もありますし、ずっと続いているものもある。宿命ですね。
性癖って厄介なものだったりすることもありますが、自分を形作る要素であるのは間違いないなあと思いました。自分の性癖についても自問自答していきたいです。
ポジティブな意味で渋いなあと唸りました。
身体の一部になってしまった
の詩行や、締めの連が私にはとても気付かされる様な味わいがありました。
@あまね
あまねさん、そうなんです。厄介で、でもだからといって治まるわけでもなく…。それがたしかに自分を形作っているところがありますね。良くも、悪くも、自分。
@たちばなまこと
たちばなさん、少しポジティブに考えるとよいかもしれませんね。たとえば、私の場合、街の散策フェチ?です。これは良い性癖だと思っています。そんなふうに探せば、まだあるかもしれません。
性なのかな?業ともちがう。とにかく付き合っていかなければならないものって、ありますよね。
歳を重ねるとそんなものまでも愛おしく感じることもあります。
もう自分の一部として
恥じらうしかない
赦すしかない。
最初から ずっと来て、この最終連から、観念(いい意味での諦めと覚悟)を感じました。それは、すてきなことだと思います。^^
@nonya
nonyaさん、業も少し入っているかもしれません。そうなんです、とにかく付き合っていかなければならない。長い付き合いになっている癖もありますね。それを含めて、私自身です。
@こしごえ
こしごえさん、最初、書いた時、ラストは、「赦すしかない」ではなく「怖がるしかない」でした。でも、それだと救いがないので、赦すしかない、に変えました。覚悟というほどではないかもしれませんが、赦す、で、詩が少し柔らかくなったかな、と思っています。ありがとうございます。
コメント失礼します。
苦さに
馴らされてしまった。
癖のある苦さに
馴らされてしまった。
この二連がとても印象に残りました。ぼくなんかは詩作のこととか好きって気持ちとか、そういうことが浮かびます。
性(さが)と癖(くせ)、ともあるので、この二つを意識して読んでみたりもしました。自身と静かに語らうような。作者の輪郭が浮かぶようです。
@ぺけねこ
ぺけねこさん、ありがとうございます。なるほど、詩作も癖かもしれませんね。良い癖だなあ。性癖というと、どことなく暗いイメージがつきまといますが、詩を癖と捉えると、少し救われるような気もします。