キャッチボール

父とよく
キャッチボールをした
グローブも買ってもらった
適度な距離をとり
公園や河原で
父と向かい合った

数年後、もう親と
遊ぶような年でもなくなった頃
キャッチボールには
ボールが必要なのだと
何かの番組で初めて知った

キャッチボール、楽しかったな
時々、父は言う
僕が誰なのか
覚えてすらいないのに
まるで親子のように
そんなことを言う

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コメント

  1. >キャッチボールにはボールが必要
    ここ、ハッとさせられました

    そして、そのボールとは?
    コトバであったり、ココロであったりもするのかな

    >まるで親子のように
    というフレーズも気になるところです

  2. 人間関係もキャッチボールと一緒だよと、教えてもらったことがあります。
    相手の受け取れる言葉を投げかけ、取れない位置や、取れない速さで言葉を投げても、相手が返せずにキャッチボールにはならないよと。
    相手の胸をめがけて投げるキャッチボールは、子どもの時からやっているつもりで、奥が深いんですね。

  3. おだやかな思い出話のようにはじまって、突然はっとさせられ、ぞっとするような結末へと進んでゆく。

  4. 皆さんがはっとされている中、すみません、エアキャッチボールの映像が浮かび。(エアギターみたいな)
    たもつさんなら大会で優勝出来そうです。

  5. たもつさんの詩は、どれも大事な詩ですが、この詩も 大事だなあ、と思います。

  6. 私も「キャッチボールにはボールが必要」なことを後から知りました。
    あいにく、父は早死にしたので、キャッチボールが楽しかったかどうか聞けませんでした。

  7. こんにちは。
    えぐられる感じがして、コメントしてしまいました。
    たもつさんの詩のなかで、空き地、をイメージさせられる詩があります。
    スペース、でもなく、無でもない、僕の中では、空き地と表現するとしっくりきて、感動してます。

  8. @雨音陽炎
    雨音陽炎さん、コメントありがとうございます。多分、物事にはルール以前にお作法のようなものがあって、ボールが必要なのはお作法なのかな。でも、二人で向き合うことができれば、本当はそんなお作法いらないのかも。雨音陽炎さんがおっしゃるとおり、ボールは心や言葉なのかもしれませんね。そして、きっと悲しいほどに親子なのかも。

  9. @汀尋(ていじん)
    汀尋(ていじん)さん、コメントありがとうございます。キャッチボールは基本中の基本なのですが、絵画のクロッキーやピアノのバイエルみたいに、奥が深いのでしょうね。残念ながら、そこまでキャッチボールを極めることはできませんでしたが。言葉などなくても親子ならお互いわかりあえる、ということもあるのかもしれませんが、親子だからこそ言葉がないとわかりあえないこともあるのかも。

  10. @たかぼ
    たかぼさん、コメントありがとうございます。思いもよらないことがあって、ゾッとしたり、ハッとしたり、、、もう親子であることを諦めていたのですが、父の目に映る子供の姿はもしかしたら、記憶が捏造した他の子供だったのかも。

  11. @たちばなまこと
    たちばなまことさん、コメントありがとうございます。残念ながら、運動神経、ゼロなので、エアでも多分ダメです、、、エアなのに、暴投したり、後逸したりしそう。

  12. @こしごえ
    こしごえさん、コメントありがとうございます。大事なことも、そうでないことも、鞄の中には入っていて、いつもガラガラと音を立てています。本当は大切なものばかりなのかもしれないけれど、、、

  13. @nonya
    nonyaさん、コメントありがとうございます。私は一通り親子らしいことはできたと思います。忙しい父で、しかも難病患者だったので、本当は日曜日はゆっくり休みたかったのだろうな、、、でもそんなこと言うと、また父は悲しんでしまうだろうから、ありがとう、だけで良いのかもしれませんね。

  14. @wc.
    wc.さん、コメントありがとうございます。空き地、わかる気がします。空き地って、単なる空白地帯ではなくて、かつて何かだったものの跡地、のようなイメージがあります。かつてあった、なんだろう、そんなものの積み重ね、みたいな。

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