キャッチボール
父とよく
キャッチボールをした
グローブも買ってもらった
適度な距離をとり
公園や河原で
父と向かい合った
数年後、もう親と
遊ぶような年でもなくなった頃
キャッチボールには
ボールが必要なのだと
何かの番組で初めて知った
キャッチボール、楽しかったな
時々、父は言う
僕が誰なのか
覚えてすらいないのに
まるで親子のように
そんなことを言う
父とよく
キャッチボールをした
グローブも買ってもらった
適度な距離をとり
公園や河原で
父と向かい合った
数年後、もう親と
遊ぶような年でもなくなった頃
キャッチボールには
ボールが必要なのだと
何かの番組で初めて知った
キャッチボール、楽しかったな
時々、父は言う
僕が誰なのか
覚えてすらいないのに
まるで親子のように
そんなことを言う
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コメント
>キャッチボールにはボールが必要
ここ、ハッとさせられました
そして、そのボールとは?
コトバであったり、ココロであったりもするのかな
>まるで親子のように
というフレーズも気になるところです
人間関係もキャッチボールと一緒だよと、教えてもらったことがあります。
相手の受け取れる言葉を投げかけ、取れない位置や、取れない速さで言葉を投げても、相手が返せずにキャッチボールにはならないよと。
相手の胸をめがけて投げるキャッチボールは、子どもの時からやっているつもりで、奥が深いんですね。
おだやかな思い出話のようにはじまって、突然はっとさせられ、ぞっとするような結末へと進んでゆく。
皆さんがはっとされている中、すみません、エアキャッチボールの映像が浮かび。(エアギターみたいな)
たもつさんなら大会で優勝出来そうです。
たもつさんの詩は、どれも大事な詩ですが、この詩も 大事だなあ、と思います。
私も「キャッチボールにはボールが必要」なことを後から知りました。
あいにく、父は早死にしたので、キャッチボールが楽しかったかどうか聞けませんでした。
こんにちは。
えぐられる感じがして、コメントしてしまいました。
たもつさんの詩のなかで、空き地、をイメージさせられる詩があります。
スペース、でもなく、無でもない、僕の中では、空き地と表現するとしっくりきて、感動してます。
@雨音陽炎
雨音陽炎さん、コメントありがとうございます。多分、物事にはルール以前にお作法のようなものがあって、ボールが必要なのはお作法なのかな。でも、二人で向き合うことができれば、本当はそんなお作法いらないのかも。雨音陽炎さんがおっしゃるとおり、ボールは心や言葉なのかもしれませんね。そして、きっと悲しいほどに親子なのかも。
@汀尋(ていじん)
汀尋(ていじん)さん、コメントありがとうございます。キャッチボールは基本中の基本なのですが、絵画のクロッキーやピアノのバイエルみたいに、奥が深いのでしょうね。残念ながら、そこまでキャッチボールを極めることはできませんでしたが。言葉などなくても親子ならお互いわかりあえる、ということもあるのかもしれませんが、親子だからこそ言葉がないとわかりあえないこともあるのかも。
@たかぼ
たかぼさん、コメントありがとうございます。思いもよらないことがあって、ゾッとしたり、ハッとしたり、、、もう親子であることを諦めていたのですが、父の目に映る子供の姿はもしかしたら、記憶が捏造した他の子供だったのかも。
@たちばなまこと
たちばなまことさん、コメントありがとうございます。残念ながら、運動神経、ゼロなので、エアでも多分ダメです、、、エアなのに、暴投したり、後逸したりしそう。
@こしごえ
こしごえさん、コメントありがとうございます。大事なことも、そうでないことも、鞄の中には入っていて、いつもガラガラと音を立てています。本当は大切なものばかりなのかもしれないけれど、、、
@nonya
nonyaさん、コメントありがとうございます。私は一通り親子らしいことはできたと思います。忙しい父で、しかも難病患者だったので、本当は日曜日はゆっくり休みたかったのだろうな、、、でもそんなこと言うと、また父は悲しんでしまうだろうから、ありがとう、だけで良いのかもしれませんね。
@wc.
wc.さん、コメントありがとうございます。空き地、わかる気がします。空き地って、単なる空白地帯ではなくて、かつて何かだったものの跡地、のようなイメージがあります。かつてあった、なんだろう、そんなものの積み重ね、みたいな。