静かな海
ちょっと向こうの方まで行ってくる
そう言って
娘とチャプチャプ遊んでいたビーチから少し沖の
白化しながらもかろうじて生きているかというような
珊瑚があるあたりまで
僕はひとりで泳いで行く
珊瑚の近くまで来た時
今までに見たことのないほどのデカさのそれはいた
海亀だ
カツカツカツと音を立てながら
珊瑚を食べているのか
僕のお腹の真下を泳ぐものだから
まるで僕が背中に乗せてもらっているのかと錯覚してしまう
ゆっくりと空を飛んでいるかのような泳ぎ
少し潜ってみて横から顔を見たり
一緒に並んで泳いでみたり
先導してもらったり僕が先になったり
どれぐらいの時間そうしていただろうか
夢中になってそうこうしているうちに
ふと水面に顔を出して振り返ると
波打ち際の小さな娘はより小さく
ビーチの妻はほとんど見えなくなっている
青空に椰子の木が絵になって映える
娘と浅瀬で遊ぶだけのつもりだったから
スノーケルもフィンも着けていない
平泳ぎの要領でひとこぎふたこぎ進もうとする
左肩に五十肩を抱えた軋む体にはなかなか辛いもの
こりゃ進まないな
スノーケルがないので息継ぎをするのだがマスクをつけての息継ぎはなんともやりづらいもので
途中で嫌になってマスクを外して首からかけたまま立ち泳ぎをする
これ溺れた人の挙動に近いかもなんてことが頭をよぎりつつ
そして疲れたので両手をぶらんとして
仰向けに浮かんで空を見上げる
水の入った耳に聞こえてくるのは波の音と自分の呼吸の音だけ
そんな静かな海
ひょっとすると
もう戻れないかも知れないな
すると足には無数の海藻のようなものが絡み付いていて
想像以上に自分の体を重くしている
目に見えないまま振り解こうとして水中に手を入れたその時にさらに気づいてしまう
それは手
海藻などではなく
次々と絡み付いてくる手
そしてその複数の手は
おそらく自分にとって大事な手
それだけがわかっている
亀は知らぬ間に
もっと沖へと泳いで行ってしまった
ここからどうやって戻ろうか
ここからどこへ行こうか
コメント
こ、怖いです。
大丈夫ですか?
なんか手が絡みつくと、海の底に引っ張りこまれそうなんですが。
締めが好きです。
単に戻るだけでない選択肢は、私は思い付かないので。
@たかづき しの
さん、コメントありがとうございます。
後半、怖くなってしまいましたねー。
大丈夫ですか?ってコメントに吹きました。
戻れないなら行くしかない的な締めになったのかしら。
こうやって死ぬのが一番良いかもなあーなどと不穏なことを考えてしまいました。戻ってきてくれてよかったです。
静かな海、という。
そこで現れた複数の手。
そしてその複数の手は
おそらく自分にとって大事な手
それだけがわかっている
ここで、大事な手、と話者(もしくは、作者)が言っているところに安心感というか、もっと言えば、おだやかな希望を感じます。
ふしぎ。^^
@トノモトショウ
さん、コメントありがとうございます。
確かにこれは新しいタイプの入水になるかも知れないですね。書きながらそう言うイメージを持っていましたが、どちらにも取れるような書き方にしていたら、ちょうど今の私のこのぽえ会との距離感と符合した感じになったので久々の投稿と相成りました。
@こしごえ
さん、コメントありがとうございます。
随分以前にこのぽえ会に『手』という少しおどろおどろしい詩を投稿しました。
https://poet.jp/photo/456/
この時はこしごえさんや他の方からも「あの世」的な解釈などを頂きました。
今回もこの詩に手が出て来た時にこの作品を思い出しましたが、少し着地が異なる感覚があり、それが数十年の違いなのか、たまたま今の感じ方なのか、興味深い時間でした。
そう言う意味でも、こしごえさんに、安心感、おだやかな希望を感じてもらえて嬉しかったです。
リゾートの静かな美しい海を思い描きながら読み進むと途中からホラーになりその切り替えが鮮やかでした。
@たかぼ
さん、コメントありがとうございます。
まさかのワイキキビーチで海亀遭遇と言う旅日記的な始まりから気づいたらホラー方面に着地してしまいまして。
手とは、なんだろう? 怖いというイメージはありませんでした。作者にとっての、大切な「手」。作者の家族とも関わってくるのかな。…いろいろ考えてみました。
男は余りの部分にしか自分がない(橋本治)ということかなと思いました。ふと、魔が差したような心情かなって。静かでした
@長谷川 忍
さん、コメントありがとうございます。
この詩では「手」が大事なものであるとできたことが自分としては良かったかなと思っています。
@花巻まりか
さん、コメントありがとうございます。
心理テストみたいなコメントになんだかドキリとしつつ、そう言う読み方も確かにできなくはないなと興味深くなりました。浦島太郎も魔が刺したのかなとか。
コメント失礼します。
短編小説の読後感にも似た、読み進めた先の意外性といいますか、こういった手法もあるものなんだなと最近知ることができました。
@ぺけねこ
さん、コメントありがとうございます。
この構成と言うか展開を決めて書き始めた訳ではなかったのですが、何となくこうなっちゃいまして。たまにはこう言うのもアリでいいかーって。だいたいいつもそんな感じですね。感想嬉しいです!