ひび割れた器
だれにも気づかれずに
ひとつ、またひとつ
ヒビが入っていった
音もなく
崩れなかっただけで
何かは、確かに
欠けていた
だけど、不思議だった
そのヒビから
水が、ゆっくりと染み込んできた
世界は
つるりとした器を好むけれど
そこには水が染み込まない
すぐにこぼれてしまうから
だけど君は違う
ヒビの一つ一つが
悲しみと優しさの通り道
だから
誰かの言葉が
君の奥に届く
だから
君が注ぐ言葉は
誰かの傷をぬくめる
ひび割れた器にだけ
水はゆっくり染み込んでいく
忘れられた想いも
小さな光も
君が壊れたまま
生きていてくれて
本当によかった
割れたあと
元に戻そうとしたけれど
破片は、きれいに噛み合わなかった
だから そのままにした
ふちの欠けたカップ
線の入ったノート
綻んだ袖口
そこにあるのは
終わりじゃなく
使い続けるという選択だった
風が通るとき
ヒビは光を反射する
水を注ぐと
そこから少しずつ、冷たさが染みてくる
不完全であることが
生きているという証になった日
ふとした拍子に
世界の音が 柔らかく聞こえた
完璧ではなくても
修復しきれなくても
壊れたままで使えることを知った
私はこの器で
ささやかな日々を
丁寧にくり返している
コメント
タイトルから想像した詩と真逆に、いい意味で裏切られました
ヒビから悲しみも優しさも沁みていく
慈愛に満ちてるなあ、と感じました