世界を憎もうと思う

・私はこの世界を憎もうと思う、何故なら、私の経験し、知見するところのこの世界は皆、憎しみで満ちているからだ。

・自分さえ良ければ幸せである、他人事に興味はないが、逆恨みは怖いのでお悔やみと哀悼の振りはする、勿論、電車に乗り遅れない程度に。

・この世界は間違っている、憎しみに満ちているからではない、偽善者ばかりだからではない、全ての価値観が従属的、且つ被害者意識で成り立っている。  

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・私は私である、と言える人がいない、私はサラリーマンです、私は父親です、私は日本人です、違う、私は私であると述べなければならない。

・工場ラインに載った製品に貼られたラベル、その文言を繰り返す、行動するしかない、動かなくなれば破棄される、無数の墓標と聳え立つ工場。

・私は私である、と気付いた私も、工場ラインのままに動き、報酬を得て、細やかな幸せを得て、稼働可期限内に破棄される運命にある。

・畜産工場にいる我らの食事となる哀れな家畜、最後の瞬間に彼ら彼女ら涙を流すのだろうか、そう、自分もそうであると気づかせない社会と世界。                

・私は父親である、ならば、子は父のような工場の家畜にさせていいのか、歴史を学ぶとは、先人がどう行動したのか省みる、生かすことにある。
 
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・同胞に叫ぼう、世界は間違っている、私たちは家畜ではない、社会や秩序の前に、私たちは私たちであらねばならない。

・松陰先生はいわれた、「諸君、狂いたまえ」と、既存の価値観や常識に囚われたままではいけない、誰の為の世の中か、気づきの時は来ている。貴方は貴方の為に存在せねばならない。

・世界を批判し、否定する、そこから新しき世界が始まる、哲学とは常に破壊と創造を繰り返す学問である、故に、日常生活で哲学を学ぶことが気づきであり、哲学を実践することが大切なのだ。

#自由詩 

投稿者

大阪府

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