あの人とあの人がセックスをしている時に
あの人とあの人が
セックスをしている時に、
私は苦しみ死んでいった。
その後
あの人とあの人の
赤ちゃんが生まれた
その日は、
青空に
ぽっかり ぽっかりと
白い雲が二つ三つ
浮かんでいた
生まれたんだね
また。風は吹いてきて光った
今
青空は
雲におおわれて
雨が降っているので
鳥たちは
林の木の枝の間で
雨宿りをしている
再び
空は晴れて
雨で洗われた世界は
輝いている
木々の青葉も。
地球のどこかで
朝食のコーヒーとトーストの香りはしている
今日もどこかで
あなたを思う人が在る
世界は変わらず変わり続ける
今日もどこかで
何かをしている何か
けれどここには私はいない
コメント
なんか同じようなこと考えたことがあるけど、僕の場合苦々しいとゆーかこんにゃろめ!ってゆーかムキーーーーってゆーかね、なかなか昇華できないのでありますよー下衆なんですよねーまったく(´~`)
@三明十種 さん コメントをありがとうございます♪
セックスって、すてきなことだと思いますよ。
セックスをするお互いが、快楽などを求めるセックスも、すてき。
そして、赤ちゃんを産む(生む)ためのセックスは、とてもすてき、だと思います。
三明さんは下衆なんかじゃないと思う。それは、性について、当然のことだと思うからです。
この詩では、セックスと生、そして、死について、すこし触れている。生がある一方で、死もあるという構造だと思う。
生ですよ。ひいては、いのちの元だと思います、セックスは。^^
@三明十種 さん 追記失礼します。
「三明さんは下衆なんかじゃないと思う。それは、性について、当然のことだと思うからです。」
ここ、に追記します。
「三明さんは下衆なんかじゃないと思う。それは、性について、当然で『自然な』ことだと思うからです。」
性的に、いやらしいことは、いやらしいことではないと思う。前の私のコメントに加えて、「性的に」いやらしいことも、極自然なことだと思います。^^