レモン葬
レモンの青い葉のななめしたにある影がそよそよささやき
独りの影に重なりつらなる。つらなる影が
影が古い灰色の木製の椅子に座り
宙を見つめている無限に
くりかえされる喪失は
だれにも知られることはなく
青黒い小石のように
遠く沈黙して空ろだ
風色の映るガラスの風鈴の鳴る真夏
なんの気配もしない小道から小道へ
天秤棒をかついだ金魚売りが
つやのある波うつ声をはりあげながらしだいに消える。
電柱の視線のすみにあるコンクリートの空き地で
異次元への入口のような
陽炎はゆらぎ
小首をかしげる
おわかれですね
独り言をつぶやいた袋小路
ブロック塀で閉ざされた
正午を回ったほの暗い空間の地面に
引力で結ばれた無数の気泡を宿らせて
青緑色に透けている
ビー玉が忘れ去られ
ほんのすこし光っている。
塀のむこうがわにレモンの青い葉が見える
いずれ雲は、
自然へ帰る
亡骸の
火葬された煙をふくみふくらみつづけ
肌をたたくおおつぶの雨となり
雨の水は雲影におおわれた庭の土にしみこむ
その時独りの影も
庭で椅子に座ったままさびしげに目をふせてぬれた
宿無しの風はふりむかずに灰色の椅子と
それに座っている肌をなぜていき
風鈴の音がひびくなか雨が上がる
空にのこった雲はゆったりとつぎつぎに流れてゆき
洗われて清んだ空は笑みを零す
零された光は雲間にみちあふれて
失われつづけた いのりは重くよみがえる
秋も深まるころ
独りの影といっしょに
時を見つめる静かなものは
やわらかな日があたる縁側に座り
庭の 今も青い葉をながめてから果物ナイフで
青いレモンの果実を厚めの輪切りにしていくと
そよぎ光るレモンの香りがあたりに広がるのを見届けた
コメント
夏のおわりの肉体的にも精神的にも虚弱になった日常に、そよぐ秋風と澄んだ青空とレモンのビタミンは癒しです。
全ては天にのぼり、雲になり、そして雨を降らせ、やがてレモンを青く実らせるのだから悠久だなあ。
野辺送り蜻蛉空にしたがへり 五十嵐播水
王殺しさんへ うむ。そうですねぇ、夏の後のそれらは心身共に癒しですね♪
そう、悠久。そう思うと どうなんでしょうね。それも人それぞれ思うことでしょうね。
しかし、王殺しさんが この詩からそう思ってくれて、うれしいです。うん。
ああ、すてきな俳句をありがとうございます。とんぼ好きです。
野辺送りきのふもけふも冴え返る 正岡子規
五十嵐氏の俳句の蜻蛉って、かげろうのことかな。まあ、とんぼも かげろうも どちらも好きです。
そう言われれば、とんぼとかげろうで随分この句の趣がかわりますね。
とても悲しいけれどとてもきれいな。
見送るものと見送られるものの視点が交わるところに、ぼくらが書きたいものがあるのかもしれないなあと、そんなふうに思われました。
風景の中に色彩があふれているのに、悲しさとか虚しさが匂い立つ。それは青いレモンの香りなんだけど、爽やかなはずの柑橘の、まだ熟れきっていない苦みもあって、そこにリアルさがあるように感じます。
王殺しさんへ はい、とんぼとかげろうでは変わりますね。すこし検索してみたら、五十嵐氏の野辺送りの蜻蛉はとんぼみたいです。
ほんのすこしだけ詩に関係する話に戻します。
この詩は架空の内容ですが、レモンは実際に育てています。ん、ただし、鉢植えで。
家族が3年位前にホームセンターでレモンの鉢植えを求めてきたのです。レモンの実は今年と昨年付けました。青い実が黄色く熟していく間に落果しないかと思いながら育てています。昨シーズンの冬までは私が管理していましたが、今年の春から家族が管理しています。今年は夏までに小さな実が落果して、今は一個しか付いていません。まだ青い実。ふふ。
王殺しさんへ (追記)この詩を読んでくれて、そのように悠久だなあ等と思ってくれて ありがたいです。ありがとうございます。うれしい。
あまねさんへ とても悲しいけれどとてもきれいな、というのは申しわけない反面うれしいです。うん。
うむ。そうですねぇ。見送るものと見送られるものっていうのは、すこし言い方を変えれば、生者と死者と言えるかもしれませんね。
「見送るものと見送られるものの視点が交わるところに、ぼくらが書きたいものがあるのかも」というのは、そうなのかもしれません。この詩から、あまねさんが、そう思ってくれたことを貴重に思います。そう思ってくれて、それを伝えてくれて、ありがとうございます。
これから何を書いていくかというのは内容の差はあれ、私の場合は、変わらずに生と死に関することを書いていくのかもしれません。まあ、言葉を書ける限り、自分の思いが尽きない限り、詩を書いていくでしょう。
トノモトさんへ そのように、この詩の風景や空気感などを丁寧に読んでくれて うれしいです。
結論から言えば、「青いレモンの香り」から、「そこにリアルさがあるように感じ」、青いレモンの生き生きとした香りなどをさまざまに感じたりしてくれて貴重に思います。ありがとうございます。
私の場合ですが、詩を書くということは、(書き方で言えば、)自分のその時の思いや「思う空気感」などをできるだけ正確に(詩は言葉だけじゃないとも思いますが)言葉をもって定着させることだと思っています。
その詩として定着させたものを読者に読んで頂く。もちろん、お一人お一人のそれぞれの読者によって、その詩から感じたりすることなどが変わってくる。(また、(作品がそう書いてあるのだから、基本的な筋などは変わらないでしょうが)同じ作品を読む同じ一人の読者でも、その時の体調などにより、感じ方が変わるでしょう)
その上で、その作品を読者に読んで頂いて、読者にいろいろに読まれることにより、その作品が初めて詩として読者に感じたりして頂けることを貴重に思います。もっと言えば、読者あっての詩だと思います。
なので、トノモトさんをはじめ、読者の方々には、読んで頂いて貴重な上に ありがとうさま、という思いが出てきます。
トノモトさんが、「青いレモンの香り」から、「そこにリアルさがあるように感じ」て、リアルさを見出してくれたことをありがたく思います。
レモンがおわかれに爽やかさのようないさぎよさのようなものを添えているのかな、と思いました。
レモンティー飲みたくなりました。
たちばなさんへ ああ! レモン葬、の大事なところを言ってくれて、大切な要を思ってくれまして、貴重でありがたく思います。ありがとうございます。
はい。おわかれ。その際のいさぎよさ。そうですねぇ、はい。
実際にあったことを思い返してみる限り、私の場合、別れ、ということに あまり 執着とか後悔みたいな感情などは ありがたいことに抱かないできているかなぁ、と思います。別れは悲しかったりするけれど、基本的に、出会った限りは、それがどういう別れになるのかは いろいろにあるでしょうが、いずれ必ず別れることになるでしょうから。
なので今も、できるだけ、その存在と後悔しないような交流などをしていきたいと思っています。ん、しかし、ぽえ会の皆様は、優しいので安心できて いつもありがたく思っています。
うん、ふふ。お茶類はなんでも好きですが、レモンティーもいいですね。^^
ああ、よくよく思い出してみると、後悔について言えば、その時はその時でつらかったりするかもしれないけど、その後悔を味わったりしてきた部分もあると思います。うん。
哀しく、苦い詩です。でも、気持ちに染み入ってくるような懐かしさがありますね。レモンが、その香りとともに、詩全体の比喩になっています。
長谷川さんへ 長谷川さんが、この詩を読んでくれて、哀しく、苦く、でも、気持ちに染み入るように丁寧に読んでくれて、懐かしさまで感じてくれて、ああ、ありがたいです。そうやって すてきに読んでくれまして、ありがとうございます。
はい、そうですねぇ。レモンをこの詩の姿に取り入れたのは、その香りに頼るところが大きかったと思います。
そして、レモンが、この詩全体の比喩になっていると長谷川さんが捉えてくださいまして、貴重に思います。ありがとうさま。^^