羊飼いの男

羊飼いの男

天候に従う従順な世界に心理的ななにものかが姿を見せると言うことはない。彼も《話さない》。天候の本質からはわずかな草も地面と言う世界に接触しつづけるからである。足は疲れることがなくて手は教えることがなくて正面に見える山は雲に隠されることがないのである。こころと呼ばれるわずかな小石のようなものに転がり出すのであろうか。意志のほとんどは羊たちの方向に流れる朝と昼と夕と夜の空気の違いだけである。下りつつ天候の変化についてはほとんど感知するものがないのである。わずかな湧き水の場所に水面があらわれるので、空は確実にその反映であるこころの波立つままの触れるばかりの気配であろう。声はもう完全な場所へとそのシグナルで土踏まずで身体の部分は強靭である。垂直にわきあがる蒸気の一部がはるかな上空でわたしのこころとなる。ひとたびこの場所から離れてしまえば、ゆりうごかせる天空のしじまの感応というあきらかな徴で、自身の身体にとどかないなにものかが景色に反応するのである。 ふたたび雲が太陽の光をさえぎろうとする。新鮮なこころの感覚するこの斜面からの声で、おだやかに羊たちにこだまする内心の《話されない》事実という風を感じるばかりであろうか。

投稿者

岡山県

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