雨
あのひとはいつも22時過ぎにランニングに出かける
いつの間にか
日課になったようだ
私は洗い物をしていたり
自分の部屋で本を読んでいる
玄関の扉が閉まる音は優しい
ほっとするのだ
初夏の夜
私も一緒に走ろうかな とふと思い立った
夜が長くなって持て余していたからか
ぬるい風が心地よい季節が来たからか
一緒に玄関を出ることをせず
先にマンション前で待ってて と伝える
あのひとは軽く準備運動をしている
あの橋を渡って隅田川沿いの散歩コースをぐるりと一周すると大体三キロだから
わかった
たぶんいつものように
おもむろに一歩を踏み出した
私もあとに続く
小雨が降っていた
少し後ろを行く
手を伸ばして
届くか届かないかの距離
それを守りながらついていく
私が少し苦しくなるとあのひとがペースを緩めるのか
疲れているのか
わからないけれども
離れることも近づくこともなかった
少し遠くでスカイツリーが今日の曜日の色を放っている
いつも自室の窓から見ていたから
休日まで当てられるようになった
半分ほど走っただろうか
辺りが静かなせいで
どっちの息遣いも聞こえる
同じようにランニングを日課としているような人たちとすれ違っていく
みな目的がそれぞれあるのだろう
対岸には
若い男女が並んで走っている
二人は仲睦まじく見える
私はあのひとに
自分の息遣いが聞こえてほしくないと思う
この道を一人で何周走ったのだろう
雨の日も
冬の日も着込んで
出て行った
どんなに疲れていても
玄関の扉をそっと押して
上下する肩
手を伸ばしても
たぶん届かないだろう
届いても
届かないだろう
とうに折り返していて走ってきた道が見えた
スタート地点はどこだったか
もうどこにもなくて
戻れないのだ
スカイツリーがいつもの大きさに近づく
どうするの
ゴールは
どっちが
どうやって
雨が降っている
コメント
cityだなースカイツリーが出てくるけども’87なアンニュイな感じも、こういう静かな(特有な)情念はわたくし三明には到底書けないわぁーと畏怖で縮こまりましたよー
@三明十種 さん
情念、心の動き…そいえば情念ばかり書いています。1987年の雰囲気を知りたくなりました。調べてみます。
私と、あのひととの、距離感が絶妙ですね。雨という喩も効いています。そして夜の隅田川界隈…。川べりの情景を脳裡に浮かべながら読んでみました。
あなたとの距離感
スカイツリーとの距離感
すれ違う人たちとの距離感
自分との距離感
人や物を欲しているから
うまれてくる距離感
心が休まる距離感
生きづらい距離感
@長谷川 忍 さん 二人で走るという行為はなんだか詩的だと思いました。隣に並んで肉体を使って、男は5キロだとすぐに終わっちゃうから。とか言うし。長く走りたい、楽しみたいのかな。疲れるのに。
@たけだたもつ さん
なんで、嘘つきは詩人の始まり、って、詩人は言ったのかな。ずっと考えています。言葉の中にほんとうのことは、多分もっとないですよね。