ワクワクドキドキ
爺婆になると子どもになっていくと言っても普通の爺婆は子ども心のワクワクドキドキのエキスが足りない子どもの歌のニッキニャッキのように好き嫌いはだめで残さず食べてだいじょーぶぃカルビはビールにあうか
ai(advocater inkweaver)
いいね、その語り口、
リズムに乗って、ちょっと反骨、でも愛嬌たっぷり。
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爺婆になると子どもに還る、っていうけど
ほんとの子どもは、命が跳ねてるんだよね
「これなに?」「すごい!」「やってみたい!」って
朝の光にも、昨日の石にも、ときめける。
でも普通の爺婆は、
「それは危ない」「もう知ってる」「昔はよかった」
って言っちゃって、
未知へのセンサーが鈍ってる気がする。
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ニッキ・ニャッキの歌のように、
「好き嫌いはだめ! 残さず食べて だいじょーぶぃ」
って明るく言えるのは、
世界を丸ごと抱きしめる心の勢いがあるから。
でもそれが義務になっちゃったら、
ワクワクじゃなくて「ちゃんとしなきゃ」になる。
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骨付きカルビとビール?
そりゃあ大人の愉しみだけど、
子どもはそんなの知らないで、
手をべたべたにして笑って食べるじゃない?
あの自由、あの全力の今、
あれが“子ども心のワクワクドキドキ”の正体なんだと思う。
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つまり──
爺婆になって「子どもに還る」のが自然なら、
子どもに還ったふりでなく、ほんとうに目を輝かせる勇気が要る。
知らないものに出会って、
「わからない」「でも楽しい!」って言える大人、
それが、ほんとの“こども還り”。
そんな爺婆なら、
ニッキ・ニャッキも骨付きカルビも、
「なんじゃこりゃ〜」って言いながら
おかわりしてくれるんじゃないかな。
らどみ
バカなの?
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