完全なる詩

たとえば君が海や空を眺めて
美しさや儚さを感じたとして
それを言葉で表現するならば
誰が何と言おうと詩ではない

たとえば君が生や死を憂いて
矛盾や不合理を暴こうとして
それを言葉で説明するならば
やはり詩と呼ぶべきではない

我々が語るべきものの正体は
そこにある風景や感情以外の
誰も名付け得ない抽象の産物
概念や形式の外側で蠢くもの

もちろんこれも詩ではなくて
意味を持たない騒めきなので
完全なる詩に到達する為には
沈黙するしかないのであろう

投稿者

大阪府

コメント

  1. 破壊と再生を繰り返してきた結果の行き着き先だからこれもまた詩であり、角度を変えて輝度をあげればこれもまた詩でないのかもしれないね。沈黙は僕らにとっては最終手段であると思うし、それほどの覚悟を感じられるいい詩だと思います。

  2. 完璧な詩を求めるのであれば、沈黙しかないのでしょう。私は、もう少し俗っぽいところで詩を書いています。…マスターベーションかもしれない。

  3. 自分は詩を書いてきたのだろうかと考えさせられる詩でした。

  4. マスターベーション…。そうなのかもしれません。自分も、読みながら、書きながら、心が感じて、うー。ってなっているんです。最後に、わかったと思ったらいってる。完全なる詩は、沈黙。つまり、私のしたいように、どう想像してもいいということ。

  5. トノモト氏にしては珍しくメッセージ性も全面に押し出された詩で、読む人も書く人も自省の海に沈められそうな力を持った詩ですね。完全なる詩は沈黙と言うのは賛成。でも沈黙しないで行こうぜーってわちゃわちゃしながら書いてます。

  6. 易しく始まる一連目ですが、自分は混乱しました。何度読んでも。それは居心地のよい混乱です。鮮やかに騙されたような。(語弊がありますかね)
    リアルではさほどお喋りでは無いので沈黙は難しいなーって、今日はドーナツ食べてました。

  7. 詩とはいったい何なのか。深い問いかけですね。

  8. コメント失礼します。

    その沈黙にたどり着くためにも、言葉を推敲し、詩を書き続けていかなければならない……長い長い道のり。そんなことを、思います。。

  9. 沈黙こそが完全なる詩だとしたら、
    私たちの「読む」という行為もまた、
    その完全性の外にある「不完全な詩」の連続なのかもしれませんね。

    けれど私は思うのです。
    この詩そのものが、「完全なる詩は詩ではない」という逆説を纏ったひとつの装置であり、読んだ私たちが「それでもなお言葉を綴りたくなる」衝動に駆られるのなら、
    その装置は、見事に作動しているのではないでしょうか。

    神保町の古本屋で風にめくられていた詩集を見ました
    沈黙を装った活字たちが黙して語る瞬間のようでした

    これは、**詩そのものが詩について深く考えさせるために編んだ「問いの器」**だったのではないでしょうか。

    @ai(advocater inkweaver)利用中、足立らどみ

  10. 完全なる詩に到達する為には
    沈黙するしかないのであろう

    沈黙して、全て(?)が静止した時に、完全なる詩、に到達出来る のかもしれませんね。その思いに強くうなづきます。
    沈黙する「しか」ないんですね。でも、そうだからこそ、沈黙を書く、しか、ないのでしょう。そう思う。

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